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勉強することの意味を勉強する その3

はじめに

このシリーズは、勉強の意味について考える一連の論考である。

すでにその1とその2で書いていることだが、大学教員をやっていて夙に感じるのは、現代社会での勉強に関するモチベーションの持ちにくさである。

勉強が好きか嫌いかという線引きの話ではなく、勉強が好きな人でも「なぜそれをやっているのか?」と考えたときに自分を支えてくれる根拠というかロジックというか、そうしたものを自分の中に作り上げるのがむずかしくなってきている。

それは時代背景が変化したことと大きく関係しており、本来ならば平成の30年間に勉強することの意味を再設定する必要があったのだろう。だが、その試みはあえなく失敗した。平成の間に何度かなされた学習指導要領などの改訂はそのチャレンジだったに違いないが、残念ながら状況を大きく変えるようなインパクトを与えられなかった。

そんなわけで、僕らは何かしら新しく勉強の意味を再設定する必要性にせまられていると個人的には思うわけで、その個人的な思いをただただ個人的にだだ漏らす、そういうシリーズである。

その1・その2で背景についてはずいぶん書いてきたので、いよいよ本論に入っていこう。勉強の意味を今の若者たちに刺さる形で提示する試みだ。今回は、「偶然」という切り口からそれについて考えてみることにする。そのために、まずいくつかの補助線を引いていく。偶然という要素が人生に重要であり、その偶然に勉強が深く関わることを理解しやすくするためだ。その補助線として、2人の知の巨人にご登場願おう。

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