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気楽な不自由と、不安な自由って話

昨日の授業は前期の最終回だったので、授業の終わりに少し話をした。

不自由の気楽さと、自由の不安について。

生きているうちに、人はさまざまな選択をしなければならない。その選択を他人にしてもらうのか、それとも自分で行うのか。

啓蒙思想の力によって、あらゆる人は自由に生きられるということがわかってしまった。そして、それに普遍的な価値を置くような世の中になった。

我々は自由であるべきだし、自由であることが素晴らしい。近代国家の教育課程において、このことを教えない国はおそらくどこにもないだろう。自由には至高の価値があると、僕らは教え育てられた。

でもどうだろうか。
自由であることは素晴らしい。確かに。でも、その自由の裏側には教えてもらえなかった別の側面が隠れている。「責任」という裏の顔が。

なんでも自由に選択できる。何にだってなれる。自分の好きなことを好きなようにやったらいい。
そうやって自らの主体的な自己決定を促す一方で、その選択の責任を自分で負わなければならないことはあまり教えてくれない。

そう、自由はとても厳しい。

BUMP OF CHICKENに(Please)Forgiveという歌がある。

これは、自由であることに抵抗し不自由を求めてしまう、でもやっぱり自由でいたい、そんな自由を求める欲求と自由がもたらす恐怖の狭間で揺れ動く人間の心情を描いた楽曲だ。

ただ怖いだけなんだ
不自由じゃなくなるのが
守られていたことを
思い知らされるのが

自分で選んできたのに
選ばされたと思いたい

残酷なほど自由だ
逃げようのない事実なんだ
震える手でその足で全てを決めるんだ

歌詞からは、優しいメロディーとは裏腹に自由になることの不安が切々と伝えられてくる。そして、この不安はとてもリアルだ。

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