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僕らはどこまでも自由で、先のことは見えないときもあって、本当にただ1人の人間なんだと思う。

「自由になりたい」と言う人がいる。

かくいう僕もそのうちの1人で、自由になりたい。いつもそう思っている。

でも僕らはもうすでに本当に自由で、どこまでも自由だ。

なんでもできるわけじゃないけれど、何にでも挑戦することができて、今すぐに挑戦できないことでも、やってみたいからやれるようにするためにどうしようか考えることができる。

どんなことでも想像したり、妄想してみたり。思い浮かべて、考えることができる。

僕たちはどこまでも、なんでも、自由に考えることがもうすでにできている。

できないことはできない。でも自由にすべてを考えられる。できないこともできるようになるためにやってみることができて、やってみたら案外できたりすることもあったり、できないことでも少しずつできるようになっていく。簡単じゃないけど、物事はうまくできているから、やるしかないんじゃないかなと思わされることもある。

書くことがうまくなくっても、書くことでうまくなっていく。そんなにすぐには書けるようになれなくても、続けていくことで自分の描きたい文体が見るかる。これだと思って、書くのが楽しくなる。

それに書く僕らはもうすでに自由になる方法を知っている。

”書く”ことだ。

書くことは自由だ。どこまでも書ける。なんでも書ける。書くことで表現できる。気持ちを、思いを、伝えたいことを。妄想だって、経験だって、夢だってなんだって。

だから僕らはどこまでも自由だと思う。自由じゃなくても自由になれる。書くこと以外でも同じ。自由になる方法を考えて、自由にやってみることができて、そのままに自由になることもできれば、自由になれなくて、また違う自由になる方法を考えることができる。

どこにいて、何をしたっていい。何もしなくたっていい。誰かといたっていいし、誰といなくたっていい。夢も目標もなくたって構わないし、登るべき山なんてどこにもない。

それから僕らに先のことはまったく見えない。

見えることもたしかにある。今日会社員として働いていれば、明日もまた今日と同じ時間に出勤する。またその次の日も、その次の日も。土日は休みで。そういう決まっているからなのか。自分がそう決めているからなのか。自分をある枠の中に入れていれば予定があるからだいたいのことがわかる。

でももしかしたら、明日病気になるかもしれない。今日の帰り道に事故に遭うかもしれない。何かが起こるかもしれない。いいことかもしれないし、とてもわるいことの可能性だってある。

だから本当に思い立ってしまえば、今日この後「仕事、辞めます」って上司に言えてしまうかもしれない。

そんなことはなくって、やれてもせいぜい「熱が出たので休みます」くらいなんだろうなとも思う。

山の上に立った。鎖を登っていって、足を踏み外したり、手を滑らせれば、きっとそのまま落ちていってしまう崖を登って、崖の頂上の石の上に立った。

そこにはさ、何もなかったよ。

僕らはその山の頂上にいて、人が何人かいられるくらいのちょっと傾斜のある岩場しかなくって。立ってみたら風が吹いていて、足がすくむんだ。

霧なのか、雲なのか。真っ白で、下はまったく見えなくて。ただ僕のいる岩場と足だけが見えていた。

このまま落ちたらきっと終わる。

何にも見えないや。

そう思ってたら、風が吹いた。

そしたら、見えたんだ。崖の先も、下にある紅葉した木々たちも、遠くに見える青色の山小屋も、もっと高い山も。

あるんだ。見えなくてもある。見ようとしても、見えないときもあって。でも見えるときがくる。

登って高いところに行って、見えると思っていた景色なんかなくって、見えなくて。

でもたしかにあった。見えた。

だからさ、そういうときがきっとあるんだよ。

いつもよく見えるわけじゃくて、自分の周りには何もないと思えて、立っていることもままならないくらいに足がすくんで、怖くて、風が吹けば倒れてしまいそうになる。

でもその風をグッとこらえたら、見えることもあるんだから。

見えないときもあるね、そういうときの方が長いのかもしれないよ。

先のことはわからないけれど、登って立って見たら、見えてくることもきっとあるから。

それから僕らは本当に1人の人間なんだ。

山の中にはたくさんの木々が生えている。いろんな種類のところもあるけれど、ずらーっと杉が等間隔のように思えるくらい綺麗に生えているところもある。

誰もいなくて、そこには僕と木々があった。静寂があって、鳥の声がときどき聞こえて、無がある。無ではないのかもしれないけれど、普段日常を生きていると感じられない感覚だから、これは無なんだなと思う。

山の中の木々、これは社会の中の僕たちなんだと思った。

みんな生きている。人間達にみたいに声を出して話してはいないけれど。いやもしかしたら彼らは彼らで話しているのかもしれないとすら思う。僕らに聞こえない言葉で、何かしらの方法で。

木には根がある。土の下ではお互いの邪魔をしないようにいい感じで生えているんだと思う。あるいは強いものがいて、その木は自由に根を伸ばして、弱いものはその間を縫うように根を張って生きているのかもしれなかった。

ああ、生きているんだと思う。彼らは彼らの場所で、生きる意味なんて考えているのか、いないのか。わからないけれど、彼らなりの生き方をしている。

同じなんだよな、と思う。一本の木と同じように、僕らも1人として生きている。

何かしらして、どこかで何かをしていて。でも別にわからない。僕らは確かに誰かと生きるし、人と関わりがまったくないなんてことはないけれど、それでも完全な1人に他ならない。

僕らも僕らなりの方法で、それぞれがそれぞれに生きているし、生きていれば、生きるしかないから、生きていくだけだなと思う。

昨日は少し離れて、木の中で生きてみた。僕もここで生きようと思えば生きることができる。きっとずっとそこにいても生きていけるのかもしれない。何かしらの方法を考えて、見えなくても、見て、見つけて。

それがきっとできる。僕らはどこまでも自由だから。

見えないときもあるし、完全に1人だ。でも自由だからなんだってできるね。

誰かと生きることだって、見えるようになるためにどうすればいいか考えたり、ちょっと待ってみたりすることだって。

生きていれば息をするし、動かなくてもそれだけで腹は減る。眠くなれば寝るし、目が覚めれば起きる。その繰り返しだから。

生きよう。生きていれば、生きるしかなくて、生きるんだから。

自由に考えてみることから始めればいいんだ。


生きるあなたへ

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