いい時の自分も、悪い時の自分も。どんな自分も自分なんだ
「こんなはずじゃないのに」
「どうしてこんななの…」
「本当の自分じゃない」
僕らはよくそんなことを言っていて、よく本当の自分とか”自分らしさ”を探す。
自分らしさ、ってなんだろう
自分らしさってなんだ、とよく思う。
おそらく自分らしさって、やりたいことをやっていて、すごく調子が良くって、いい感じの自分でいれることなんじゃないかな。
でも、本当にそうだろうか?
それはただの願望じゃないのか。自分らしさという願望。
前にも少し書いたけれど、あなたはあなたしかいない。
だからもうあなたはすでにあなたらしい。あなた以外にあなたはいないらしいよ。
だから自分らしさなんて探さなくても、自分だから探さなくていいんだ。
なぜ自分らしさを探してしまうのかなんて、そんなことわかっている。
その方が楽だからだ。今の自分は違くって。本当の自分はもっといい。そう思う方が希望が持てるからだ。今の自分は違うから、本当のもっといい自分に目を向けている。
自分から逃げているんだと僕は思う。
自分以外に自分はいないから、自分が自分であることだけは変わらないから
どんな自分も、自分なんだよ。
すごく調子がよくって。なんでもできるような気がして。夢や目標に近づいていっている感覚があって、いろんなことができるようになっていっている。
そんな自分でいれたら、自分らしいと思えるのかもしれない。
でもじゃあ今の自分はどうなんだろう?
何もやる気にならない自分も。
スマホを開いてただなんとなく動画を眺めている自分も。書きたくても全然上手に書けていない気がして、そのまま投稿しない自分も。やりたいことがあるのになかなか一歩を踏み出せない自分も。一歩を踏み出してはみたけど、それ以上進めなかったり、結局続かなくてやめてしまった自分も。
全部、自分。
どんなにダメダメでも、どんなにいろんなことができても、どっちも自分だ。
どんな自分も自分なんだ、と思える方法
正直今僕もしんどいです。やる気も出ないし、だるいなーってなっています。(目は開かないから眠い感じだし、本当にだるいなーってなっています笑)
でも「そんな自分も自分なんだよな」とただ本当にそうとだけ思っています。やらなきゃいけないことも確かにあるし、調子よく文章が書けている自分の方が心地いいし。そんなことは重々承知です。
それでも花粉症にやられてる自分も自分なので、抵抗しません。時季ものですから、過ぎ去るのを待ちます。だって待ったら、終わって楽になることを知っているから。
でもけっして最初からこんなふうに流れに身を任せて、何も思わずにいられたわけじゃありません。
僕も一丁前に「なんでなんだ」「どうして頑張れないんだ」と思って悩んでいました。自分らしさ、みたいなものを探していた時期もあります。
でもそこから少しずつ、少しずつ、抜け出していって、今では何も気にしなくなりました。全部受け入れています。
じんわり、ゆっくり、馴染ませていくんです。
あれも、それも、これも、自分だと知る
まずは自分を知ることから。
それ以外に方法なんてない。自分を改めて知りましょう。
方法は、ただ書き出していくだけでいい。
ありとあらゆる自分をこれでもかってくらいに書き出していく。
書くときはどんな自分かをまず考える。だからそれだけで自分を見直したり、自分を知ろうとする姿勢が出来上がっている。
ただ思うだけじゃなく、書き出すことが大事。書き出された文章を見て、さらに客観的に見れるから。
「確かに全部、自分だ」って。
知らない自分を知る方法
自分を知っていってわかることは、まだまだ自分を知れるということ。自分を知りきることはないということ。
そこまでいくまでは、ありとあらゆる今自分が知っている限りの自分を書き出していく。(なかなか一人でやるのは厳しいけれど、それをやりきっていないとまた悩む自分が出てきた時に受け入れられなくなる)
その後に知らない自分を知っていくんだ。
新しい人に出会った自分は、その人と出会った新しい自分になる。
新しい本を読んだら、その本を読んだ後の新しい自分になる。
そんなことを繰り返していけば、どんどんと知らない自分と出会うことができる。だいたい予想できることもあるけれど、それはそれでいい。ちゃんと自分を知れているってことだから。
もっと自分を知る方法
もっと自分を知るために「主観」「客観」「統計」の3点が大事だと思っている。
基本みんな自分を知る方法として、自分から見た自分と、誰かから見た自分で終わらせてしまうが、それだけでなく「統計」に頼ることはもっと多角的に自分を知る上で役に立つ。
ストレングスファインダー(自己分析)をやってみるのもいいし、心理学を学んで自分自身を見つめ直すのもいい。(心理学も統計学の一種だ)
僕は数秘術も使っている。占いの一種ではあるけれど、生年月日から「武器や強み」「理想の在り方、人生のストーリー」「課題」を客観的に見ることができる簡単なもの。この日生まれの人はこういう傾向を持っているとされていて、これも統計学。昔から蓄積されたデータに基づく。
僕が提供している自分を知る対話や文章コーチングでも大いに活用している。
自分を知るためにありとあらゆる手段を使えばいい。
確かにある、と認める
認めるだけでいい。「あるな」って。確かにあれも、それも、これも、自分だって。
ここでの「認める」の意味は、承認するのではなく、認識する、確認するという意味の方が近い。
ある、ある、ある、ある。
ただぼんやりと思ってしまっていた自分の特徴や性格が、確かに自分の中にあって、それも含めて自分だと思えることが大事だ。
しなくてもいい経験もないよりあったほうがいいことは確かにあると思う。失恋なんかしたくないし、勉強も面倒くさい。怪我もしない方がいいし、病気にもならなくていいし、貧乏よりお金持ちの方がもちろんいいし、ブサイクよりはかっこよかったり可愛い方がいい。花粉症なんて本当にその際たる例だと思う。(本当になくていい、、)
でもそれも含め自分なんだよね。そのことがあったから考えられるようになったことも確かにあるんだ。
なくても考えられたかもしれないけれど、あるから考えられた。なかった場合どうなっていたかなんてわからないから。
結局今しかないんだ。
それを認めることができる。ある。ある。ある。認識して、確認して、あることをちゃんと思うことができる。
それが認めるってことになってくれる。
まるっと全部、受け入れよう
知って、認めたら、受け入れてしまおう。
肯定しなくていい。
これもまた前にも書いたんだけれど、自己肯定なんていらなくて、必要なのはきっと「自己受容」だ。
こんな自分でもいいんだ、なんて思わなくていい。ダメダメな自分もいいなんてなかなか思えない(僕もそれはそれでまたいいなくらいにしか思っていない。風情があるなあ、僕も人間だなあくらい笑)。
だから、そういう自分もいる。いい時も、悪い時も。あれも、それも、これも。自分。
それらをただ、ただありのままに受け入れてしまう。
自分を全部、抱き抱える感じ。
全部ひっくるめて、自分だよねー。完璧じゃないし、それはそれでしょうがないし、それはそれでもまたいいよねー。って。
たぶんきっと、そんな感じ。
すぐにはできないよ。だから毎日書く。
書くことで自分に書き記す。ゆっくり、じんわりと、馴染ませていく。そんなイメージ。
同じようなことでいいんだ。毎日毎日違うことを書かなきゃいけないなんてことはない。
そう思っていう自分も自分で。そうじゃなきゃいけないと思っている自分も自分。それから毎日おんなじようなことを書いてもいいんだって感じられている自分も自分で。そうしていこうと思っている自分も自分だ。
全部受け入れられる。書きたいあなたなら、きっとできる。
本当にどうでもいいとも思っているし、でもどうでもよくないと思っている僕も僕だ。
僕は今の僕をありのまま受け入れている。
だからもっと自分を知って、認めて、まだまだ受け入れていく。
書くことが、自分を受け入れる方法で、それから大事な人たちをありのままに受け入れる方法だったりするんだ。
書こうね。
ちゃんとしたいと思うあなたへ
全部自分で片付けてちゃう物書きより
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代筆屋の言葉で、あなたの「好き」を言語化するお手伝いです。もっと生きやすくなるために、自分を知るための、心理学や数秘術に基づく自己分析も受けられます。
すべて、自分を知ることから。
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