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偶然でも一瞬でも

未来は、確かな保証がないからこそ、信じる価値があるものです。たとえ叶わないかもしれない夢や目標でも、信じて挑み続けることが、私たちの心を豊かにし、毎日を輝かせてくれます。
今日は、そんな未来を信じることの大切さについての話を紹介します。

− 偶然でも一瞬でも − 
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ぼくが16歳だった頃、住んでいた家の近くに古びたバッティングセンターがあって、
時々ひまつぶしのために足を運んだ。

たいていいるのは小学生くらいの子どもや、ぼくのようにひまつぶしに来たおじさんだった。
時々、ヤンキーみたいな連中や、僕と同い年くらいの坊主頭がバッターボックスで快音を鳴らしていた。
一体どういう流れだったかは忘れてしまったけれど、ぼくはその坊主頭と仲良くなっていた。

彼は僕とは違う高校の野球部員だそうで、
レギュラー入りを目指して自主練をしていると言っていた。

「レギュラーの壁は相当に厚い」とよく彼は話した。
「相当に」の言い方が強くて、ぼくはきっととても難しいのだろうなと感じていた。
彼の話には続きがある。

「でも、壁を超えたい。超えられないかもしれないけれど、チャレンジし続けたい。
たとえ超えることができなくても、超えようとすること自体を楽しみたいんだ」

そのとき、ぼくは胸の中に不思議な感動を覚えていた。
ぼくは明日がやって来るなんて保証はないと思っている。
でも、彼は明日の存在を疑ってさえいない。
そして今日よりも明日、明日よりも未来、未来よりも遠い未来を、信じている。
必ず素晴らしくなると信じている。

たとえレギュラーになれなかったとしても、
きっと彼にとって、そんなことは関係ないのだろう。
ぼくは、相当に、感動した。

ぼくはそれからなんとなく勉強に打ち込むようになり、
じょじょにバッティングセンターから遠ざかるようになった。
坊主頭の彼はどうしているだろうと思ったけれど、
お互いに名前も連絡先も交わしていなかったことに後になって気がついた。

もう会えないかもしれないけれど、
それぞれの未来で、いつか素晴らしい未来で再会できたら、うれしい。

作者不詳

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