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#55 未来についての愛を語る
学生時代に通いつめた本屋がいつの間にか無くなり、更地になっていた。
小ぢんまりとして、温かみのあるお店だった。店主は挨拶をするくらいには顔見知りで、いつもハタキで埃を取っている姿が印象に残っている。本はきれいに整頓され、隅々まで掃除が行き届いていた。
途中で授業を抜け出し、なんてことはなしにパラパラと本をめくった。活字の海の上を漂い、そして何かを見つけようとして掴む真似をする。次第に言葉の濁流に翻弄され、落ちていく。
これはいけないと思い、眺めていた本をレジへ持っていく。千円札を渡すと、店主は「ありがとうございました」の言葉と共に、丁寧にお釣りを渡してくれた。短いやりとりだったが、ポッと明かりが灯った。
*
地元へ帰るたびに、故郷は様変わりしている。
昔なかった大型ショッピングモールがあちこちで建設され、倉庫のような外国産スーパーがその存在を強く誇示している。閑散としていた道路は、いまや休みの日になるとたくさんの車でひしめき、混雑している。
かつて幼い頃に憧れていた世界が目の前に広がっていた。ありとあらゆるものが揃い、無人レジで人は誰かと接触することなく買い物を完遂させる。
なんて過ごしやすい環境なんだろう。
ふとした拍子に立ち止まった折、昔通った本屋のことを思い出した。左手には袋に包まれた本の重み、右手には店主から受け取ったお釣りの重み。それは人との確かなつながりを感じさせる重みだった。
この先の何十年後という遥か未来のことを考える。もしかしたら私はその時も生きているのかもしれないし、もうこの場所にはいないかもしれない。
きっと私がまだ見ぬ未来は、それはそれは一切合切無駄を排除して、何もかもが自分の思い通りにできる世界なのだろう。快適で、効率的で、ストレスフリー。文明の発達、万歳!
「時間は有限だ。君たちは効率的に生きていかなければならないのさ」顔の見えない男は言う。資本主義の歯車の最中で、私たちはそれが正しいことだと教わったのだ。クルクルと回って踊り続けている。
気がつけば、手に汗をかいていた。違う。これは最適かもしれないが、最良ではない。
私たちが行き着く先は、必ず五十音の始まりの二文字であるはずだ。決して忘れてはいけないもの。手の中にある硬貨が熱を帯びている。この目で、この手を使って、本当に大切なものを握りしめる。
脳裏に刻まれた人の姿を思い浮かべながら。
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