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#1. あしたが来ること(『昨夜のカレー、明日のパン』著:木皿泉)

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どうにも外出規制の結果、家に閉じこもりがちになり、本や映画と向き合う時間がこれまでより増えたことで以前よりも涙脆くなってしまった気がする。

そんな中読んだ本の中の一冊が、木皿泉さんが書かれた『昨夜のカレー、明日のパン』という本。読んでいるうちに、本に書かれたことばがじわじわと自分の中に広がっていく。

木皿泉さん、どうもどこか既視感を覚えるなと思っていたら以前日テレ系でやっていた『野ぶたをプロデュース』というドラマの脚本を書かれていた人らしい。正確には、夫婦で一緒にやっているみたいなので"人たち"ということになるが。

あらすじ

悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだ―。七年前、二十五才という若さであっけなく亡くなってしまった一樹。結婚からたった二年で遺されてしまった嫁テツコと、一緒に暮らし続ける一樹の父・ギフは、まわりの人々とともにゆるゆると彼の死を受け入れていく。なにげない日々の中にちりばめられた、「コトバ」の力がじんわり心にしみてくる人気脚本家がはじめて綴った連作長編小説。

ことばの誘引力。

テツコは前にギフが言っていたパチンコ店の話を思い出した。閉店になった時のホールって、ただただゴォーって川みたいな音がしてるんだよね。華やかな光や音楽が止んだとたんに、機械が玉を流してゆく音だけになるんだ。なんだオレ、こんな殺伐としたところにいたのかぁって。生きてるって、本当はあんな感じかもしれないね。本当は殺伐としてんだよ。みんな、それ、わかってるから、きれいに着飾ったり、ご馳走食べたり、笑いあったりする日をつくっているのかもしれないな。無駄ってものがなかったなら、人は辛くて寂しくて、やってられないのかもしれない。

生きるということをパチンコ店のホールに例えてしまうのもこれまた妙な話だけど、何度も何度もこのことばを読むたびに、まるでするめいかのごとく、頭の中にしみじみと広がっていくのだ。

生きるって辛いこと?
たぶん時にはそうかもしれない。けれど、決してそればかりでもないような気がする。物事を悲観的に捉えすぎないで、何か楽しいことをほんの少しでも思い浮かべてみる。それがあれば、ダメなことがあった分生きる上での喜びも一入だったりするのかもしれない。

そしてあまりにも辛いことがあったりすると、人は時にはお酒やギャンプルに逃げたりしてしまう。そのことに依存してしまうということは、現実からただ逃げてしまうということにになるから、生きることを放棄してしまうことになる。

だけど、ほんの少し現実から逃げるくらいなら、というよりも他の道に寄り道してしまって、そこから学ぶことがあったり何か光明が見えたりしてくるのであればそうしたことも時には必要なのかもしれない。社会人になっても、時々くるモラトリアム。

二人の関係性。

テツコとギフの関係は時にちょっと歪かな、と思ってしまうこともなくはないのだが、読み進めているうちに彼らは生きる上で寄り添い、それをどこか自然と生きる糧としているのかな、と思ったりもする。

そのほかにも、じわじわと吸い込まれていくことばがいくつもある。さすがギフはロマンチストだけあって随所でグッとくることばをさりげなく呟く。

「人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことばだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」

今回図書館でこの本を借りだのだけど、改めて自分のお金で買ってそばにこのことばのかけらたちを置いておきたくなった。

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だいふくだるま
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