あたまの中の栞 - 弥生 -
春の麗らかな暖かさに包まれて、少しずつですがいろんなことへの気力が高まりつつあります。年度末と年度始まりは忙しくしていたのですが、それもひと段落し、あとは来週に迫った金色休暇に向けて準備を重ねています。今年は私の友人であるスケさんカクさん(水戸黄門はきっと別にいるはず)と、共通の友人カップルと一緒に東北へキャンプをしにいく予定。未来が楽しみばかりで、今からニヒヒと一人で笑っています。
もう気がつけば4月もあと少しで終わりですが、このタイミングで先月読んだ本の振り返りを行って参ります。ちょうど文学新人賞に向けて執筆していた時なので、テーマに沿って本を読んでいた傾向が強かったですね。
1.マイクロスパイ・アンサンブル:伊坂幸太郎
最近、図書館へ行くとたまたま伊坂幸太郎さんの本を見かけることが多くて、昔のよしみというか、頭の中の残像というか、自然と手にとってしまう癖がついています。今回のお話は、現実世界と、スモールワールドでスパイをしている小人? たちとのつながりを描いた話。
二つの世界がパラレル的な形で展開され、時にはお互いが時々リンクする感じは伊坂ワールドって感じでした。ただ、やっぱりどうしても最近の作品はちょっと世界観が合わないなぁという感想が先に来てしまいます。どうしてなんだろう。ガリバー旅行記をベースにしたと思われる『夜の国のクーパー』も少し苦手でした。
改めて己の苦手意識を分析すると、人が大きくなったり小さくなったりする世界は、自分の中では半ばタブーと言うべきものになっているのかもしれません。だってちょっと反則じゃないですか? どちらのケースも、蹂躙される側としては抗いようがないわけですし。ミクロも、マクロも(いや、これは人それぞれの感性によりますね。いかんいかん)。もしかすると対等な世界で、異なる設定とした方が私の中ではすんなり行くのかもしれません。
2.発達障害グレーゾーン:姫野桂
3.私たちは生きづらさを抱えている:姫野桂
現代で近頃頻繁に取り上げられるようになった隠れ発達障害で苦しむ人たちについて、事例を交えながら説明している本です。今回詳しい内容は差し置いて、改めて別の記事で紹介をしていきたいなと考えているのですが、実のところ私自身も一部発達障害かもなと思う部分があって、読みながら思わず共感する部分がけっこうありました。
こうした本を手に取ると、本来私たちが考えている「普通」という概念って、すごくふわふわとしたもののように思えてしまうんですよね。本当に「普通」の人って、存在するのかな? 良くも悪くもみんなどこかで捻れている気がする、むしろそれが正常なのでは?
4. ビューティフルからビューティフルへ:日比野コレコ
第59回文藝賞受賞作品。それほど文量が多くないので、読むのが速い人だと数時間で完読するくらいのボリューム感です。「ことばぁ」の元へ通うナナ、彼女に声をかけられて共に通うことになったビルE。複雑な家庭環境に生まれ育った彼らは、言葉を交わすことによって、何か形にならないものを探している。
この作品では、言葉が羽のように恐ろしく軽い。これは身軽という意味で、サラサラと砂が舞うような感じで流れていくんですよね。『文藝』において受賞の言葉を見ると、著者はお笑いの影響を大きく受けている。それで、たまたま私も最近気がついたのですが、とある友人の影響で近頃お笑い番組をなんてことはなしに見るようになり、彼らの社会に対する恐ろしいほどのナナメ視点が強くわかるようになって。それってきっと小説の世界と相通ずるものがあるんでしょう。
それにしても、すごい感性。人によっては意見が分かれると思いますが、一種軽薄にも思える文体は、今の私自身に同じ形で書けるイメージしづらくて、それだけに眩しかったです。さりげなく韻を踏んでいる感じとか、けっこう好きです。
5.汝、星のごとく:凪良ゆう
本作品は前々から図書館で予約して順番待ちしていたもので、だいたい半年程度でようやく手元に渡ってきたのですが、つい先日本屋大賞の結果を見ていたら見事大賞となっていておお、と思わず目を見張りました。
瀬戸内の島に育った暁海と、よく言えば自由に生きる母親に翻弄される櫂が、共に心の中に抱える孤独をきっかけにして、つながりを持つ話です。物語の筋としては、以前本屋大賞として選出された『流浪の月』と比べると、王道とも言えるストーリーとなっています。
とにかく読みやすくて、すいすいページをめくってしまう。結末もある程度わかってしまう部分はあるのですが、最後読み終えた時に不思議な読後感があって、書店の皆さんが推したくなる気持ちもわかります。島特有の狭いコミュニティのあるある話に、ひどく共感しました。ある種、人間の本質的な部分をうまく切り取った作品でした。(ちなみに私は『滅びの前のシャングリラ』の方が、好みです)
6.愛のバルコニー:荒木経惟
アラーキーという言葉がバズるなど、写真家である荒木経惟さんの作品はいっときを風靡しました。彼はセンセーショナルな写真もそうですが、特に印象深いのは彼の生活そのものがそのまま作品としてこの世に送り出されたことですね。それは夜の営みも含めて、生々しい。
本作品に関しては、猫1匹、妻ひとり。撮り手が感じている穏やかで平和な世界の空気感を、読み手も追体験しているような気持ちになってきます。写真は主にベランダで撮られ、時々テレビ、恐竜や亀などのオブジェが登場します。その傍らには年月と共にしっかりといなくなったものの存在がチラつき、胸焼けした後のような気持ちにさせられるんですよね。
面白い写真を撮るには、一つには時間をかけて同じ場所を取り続ける方法もある、と昔通っていた写真学校の先生がおっしゃられていたのですが、まさにアラーキーの写真にはそうした確かな時間の経過によるわだかまりみたいなものが刻まれていたように思います。
7.犬も食わない:尾崎世界観、千早茜
一見すると、異なる世界に住む二人がひょんなことから出会い、それぞれの視点から物語が交差していくというスタイルでした。もともとクリープハイプのなんとも言えないこの世の場末感みたいな歌詞がちょっと好きで、それつながりでなんとはなしに尾崎世界観さんの作品も読むようになりました。
音楽と似たような感じで、本作品にもそうしたぐらつく世界観が表現されているように思います。気怠くて、このままではダメだということが頭の中でわかっているにもかかわらず、うまく抜け出すことができない。なにか泥沼に片足を突っ込んでいて、最初は不愉快な気持ちが迫り上がってくるのに、次第にそれが慣れに変わって抜け出せなくてもいっかーという気持ちになるような。
それにしても二人は結局一緒に暮らすようになって、最後どうなったんだっけかな。それがいまだに思い出すことはできないのですが、まあいっかという気持ちになっています。小説って、場合によっては結末がそれほど大きな結果をもたらさない場合もあるのかもしれませんね。
8.がらんどう:大谷朝子
第46回すばる文学賞の受賞作品。ある程度歳を重ねた女性二人のシェアハウスの情景を描いたもので、彼女たちが二人で暮らす中では世間一般から見たときにしがらみのようなものがついてまわります。最も特徴的だったのは、一緒にシェアハウスをしている同居人が3Dプリンターでさまざまなものを生み出していくという点でしょうか。
がらんどうとは、「空洞」という言葉を意味します。おそらく筆者は、ある程度年齢を重ねた女性が受けることになる社会からの視線に対して、心が空っぽになっている様を描きたかったのでしょうか。言わんとしていることは、ぼんやりとはわかったものの、最後もう少し二人の物語の続きを読みたかったなーと少々名残惜しい部分がありました。
9.ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ
時々無性にトルーマン・カポーティの作品を読みたくなる時があります。もともと大学では英米文学を専攻しており、卒論の対象作品にしたのがトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』という作品でした。こちらの作品については、最近出版されたカポーティの初期短編集です。
それだけに、文章の語り口も瑞々しい感じに見えてくるから不思議です。
10.ミシンと金魚:糸井みみ
第45回すばる文学賞の受賞作品。対談で筆者は宇佐美りんの『かか』(同時並行で読んでました)に影響を受けたと言っている通り、その語り口はどこか独特の口調で、読んでいると「む」となる部分があります。
とはいえ、決して読みづらくはありません。認知症を患うカケイさんの生き様。主人公の人生はなかなか順風満帆とはいかない。癖のある兄、紹介で出会った夫、亭主の先妻の子供。一見すると、重い内容になってもいいはずなのに、彼女自身が記憶を少しずつ少しずつ失われてきているという事実によって、それほど重たくならずに物語が展開されていきます。
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先月は小説を執筆していたこともありますし、いろいろ私自身の中でもわだかまりと葛藤があっていつもよりもハイペースで本を読んでいました。なんでしょうね、年度がもう少しで切り替わるってなると、気持ちがキシキシする。見慣れた人たちとの別れ、新しい人たちの出会い。
急激に脳内の中で情報の刷新が目まぐるしく起こって、あれまあれまと右往左往する。そうした気持ちの浮き沈みとは裏腹に、妙に私の心は冷静で、その反動で物語を求めている。
4月になったらなったで慌ただしく日々は巡り巡ってますけど、3月と同じくらいのペースで本を読んでいて、合わせて親しい友人たちとも出会う機会が多くて、毎日ヘトヘトになりながらも今はちょっと、ワクワクしてます。