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2023年11月の記事一覧
死ぬ前までに食べたい100の美菓 みつまめ、あんみつ
「ひゃっこい〜、ひゃっこい〜」
「白玉、心太、みつ豆はいかが」
「ひゃっこい〜、ひゃっこい〜」
夏になると江戸の街に白玉、心太、みつ豆売りの声が鳴り響く。
天秤棒の木桶に入っている冷たい水には、ゆらゆらと白玉や心太、みつまめが浮かび、1椀4文で売られていた。
大人は心太に醤油や酢をかけ、子どもは白玉やみつまめに砂糖やきな粉をかけて食べる。
昭和の流行語「ミーハー」の語源は、昭和のはじめ、み
死ぬ前までに食べたい100の美菓 小豆モン
講談と落語の源流とも言われるのが、御伽衆達の辻噺、つまりおとぎ話だ。戦国時代、織田信長が側に置いたのが野間藤六という御伽衆で、藤六が信長に聴かせて大笑いさせたのが、「小豆がこわい」という噺で、これが後に落語の「まんじゅう怖い」になっている。
藤六は、意地悪な城の女たちから「怖きものは何?」と問われると、「あずき餅ほど怖きものなし」と答え、まんまと好物のあずき餅をせしめたという噺が残っていて、それ
死ぬ前までに食べたい100の美菓 切り山椒
今年の酉の市は、11月11日(土)と11月23日(木)。浅草鷲神社の昔の酉の市は、近くの吉原の門が解放され、女子供でも吉原の街を歩けたそうで、吉原に売られた娘に会いに来たり、見張り役はいたが、遊女達も酉の市で売られる菓子を買い求めていた。
その中で、切り山椒は名物の菓子で、昔、筆者が住む山形の鶴岡から江戸見物に行ったという鶴岡の菓子組合の面々は、酉の市で売られていた切り山椒を持ち帰り、鶴岡でも七
死ぬ前までに食べたい100の美菓 番太郎菓子とさつまいもスイーツ
街頭紙芝居の生業の始めは、飴を売ることだった。飴や駄菓子のことを、江戸では番太郎菓子と呼んでいた。
その番太郎菓子の始まりは、江戸市中にあった番屋の本業で、駄菓子屋とか荒物屋は番屋を兼ねた、現代のコンビニみたいなものだった。
番屋は正しくは木戸番のことで、江戸のはじめ、多くの城下町には防犯のため木戸が設けられていた。夜は木戸を閉じるために、「番太郎」または「番太」と呼ばれる木戸番がいた。
大抵
死ぬ前までに食べたい100の美菓 その3 おっぱいアイスに玉ようかん
まもなく昭和も100年を迎えることから、昭和の生活写真を集めるため、取材に廻っていた。
昔から駄菓子屋の冬枯れ夏枯れと言われ、二月、八月の駄菓子屋は天候の厳しさもあり、なかなか商売にはならなかった。
八月はまあまあ花火が売れるがそれでも駄菓子や当て物と違い、子どもたちは毎日は買ってくれない。
ある年、夏の救世主のように現れたのが、おっぱいアイス、地方によってはぼんぼんアイスだ。
おっぱいの