死ぬ前までに食べたい100の美菓 その3 おっぱいアイスに玉ようかん
まもなく昭和も100年を迎えることから、昭和の生活写真を集めるため、取材に廻っていた。
昔から駄菓子屋の冬枯れ夏枯れと言われ、二月、八月の駄菓子屋は天候の厳しさもあり、なかなか商売にはならなかった。
八月はまあまあ花火が売れるがそれでも駄菓子や当て物と違い、子どもたちは毎日は買ってくれない。
ある年、夏の救世主のように現れたのが、おっぱいアイス、地方によってはぼんぼんアイスだ。
おっぱいの形をしたゴムにアイスが詰まり、それを凍らせたもので、ゴムの先を歯で喰いちぎって、ちゅぱちゅぱとアイスを吸いながら、手でくるくると回しながら、手の体温でアイスを溶かし続け、再びちゅぱちゅぱと吸う。
ネットでは、高知県の久保田食品が平成元年に売り出し、瞬く間に全国に広がり、大手メーカーも恐竜のたまごなどのネーミングで売り出したという。
待てよ、私が幼少の頃、すなわち昭和30年代にはすでに売り出されていたはずだと、さらに調べてみると、同じく高知の久保田食品が、たまごアイスとして昭和30年代に売り始め、当時はどのメーカーも特許や版権を取らなかったので、鶴岡でも、どこかのメーカーが作って売っていたのだが、おっぱいアイスはネーミングではなく、子どもたちが付けた愛称のような気がした。
それと同じく、ゴムに充填され玉のような形になった玉ようかんも駄菓子屋で売られていた。爪楊枝を刺すと、ぷくっと皮がめくれようかんで、油断するとようかんが転がって床に落としてしまうものだった。
発祥は福島県二本松の玉嶋屋というお菓子屋さんで、昭和12年県知事と軍の依頼により開発された食品で、いつまでもやわらかい羊羹を戦地の方に食べてもらえるようにゴムに入れる方法を考案したという。
最初は日の丸羊羹という名前で販売されたが、戦後再開業のときに軍国主義のイメージを避けるため形と店名から名前を玉羊羹と改めて現在に至るという。
これまた私の記憶だが、昔は特許も版権もとらなかったから、製造元もわからず、名前も定かではない玉ようかんが駄菓子屋で売られていた。
おっぱいアイスに玉ようかん、ジサマの私がちゅぱちゅぱやっても、ヘンな目で見ないでね。昭和の駄菓子屋を回想してるだけだから🤪
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