note短編小説|感動のラスト
「あの子がなして死んでしもうたんか、よう分からんのですが、自殺とか薬じゃないと思うんです。いまも信じられんです。あんな優しい子……」
子を失った母親が涙を堪え、声を震わせるインタビュー映像がスクランブル交差点のモニターに映る。しかしそれを見上げ、彼女の涙から悲しみを共有する者はいない。誰も注目しないのではなく、その場に人間が存在しないのだ。
晴天の下、渋谷のど真ん中を闊歩する人々の姿はなく、母親の不安げな声だけが空しく風に流れてゆく。
その噂は約三年前、陰謀論者やオカルト愛好家の間で話題にされたが、いまでは多くの謎に包まれたまま世界を死の影で覆っている。
『姿なき殺人鬼』と呼ばれる奇妙な現象であった。
いま会話をしていた人が、映画や読書を楽しんでいた人が、音楽を聴いていた人が、スポーツに励む人が、会社で、冠婚葬祭の場で、イベント会場で、ありとあらゆる場所と状況で突如、人が死ぬのである。
ある日、米国は首都ワシントンにあるダレス空港へ着陸態勢をとったボーイング777のパイロットがその最中に死亡、二百数名の乗客全員を巻き込む墜落事故が起きた。機長はその日が最後の勤務であり、フライトレコーダーに残された会話も彼への労いや感謝に満ちたものだったが、奇妙なことに機長と副操縦士がほぼ同時に死亡していたとされている。
WHOと世界の研究機関は原因究明を急いだ。
当初はウイルスなどの感染症だと目されたが手掛かりは掴めず、次に過度な緊張や鬱状態からくる精神疾病も疑われたが、死者に共通したストレス環境や疾病はなく、経済状況も一貫せず富める者も貧しい者も、分け隔てなく死んだ。
食事、喫煙、薬物依存、生活習慣、職場環境、その他様々な要因を照合しても、健康、人種、文化、性別、年齢、あらゆる条件も関係なく、突然死の原因は全く不明であった。
『姿なき殺人鬼』による被害者は日々増加し、ついに世界の総死者数は一千万人を超えた。
民衆の不安は増大し、人々は外出を控え、社会は様々な断絶を生んだが、なおも死者数は増加した。家に居ながらも人々が死んでゆくのだ。
パニックに陥った人々は神や信仰に頼るほかなく、教会、寺院、あらゆる宗教の聖域に押し寄せた。
己の罪を告白し、魂を清らかにせんと祭具や儀式を求め『姿なき殺人鬼』からの赦しを請うたが、その努力も空虚に終わり、それは聖職者でも同様だった。
しかし絶望的なこの事態に一筋の光明が差す。唯一この事象の発生時から死亡者数が皆無のグループがあった。それは意識が昏睡状態のまま入院している俗にいう"植物状態"の人々であった。
これに着目した研究者が、脳科学、精神医学、免疫学、あらゆる分野のスペシャリストを集め研究し、ついにこの現象を打開する鍵となる論文を発表した。
以下は、その内容の一部抜粋である。
「いま世界を恐怖と絶望に包んでいる『姿なき殺人鬼』と呼ばれる突然死現象への対抗策が判明しました。ですがそれは未だ一例に過ぎず、万全の対策でないことを先に申し上げておきます。そして何よりこの対抗策は極めて非人道的で、人間社会のあるべき姿に反するものです。我々はこの数年、被害者の膨大なデータと彼らに死が訪れた際の行動パターンを分析し、同時にこの騒動の始まりから今まで死者数の最も少ない植物状態の患者の脳を調べました。またこの植物状態者の次に突然死が少なかった集団は、過酷な家庭環境、戦争体験などから重い鬱やPTSDを持つ人々でした。その分析から判明したのは、死者の脳にはセロトニンやオキシトシン等のいわば幸福感を得た際に分泌されるホルモンが例外なく検出されたことです。(中略) つまりこの突然死を乗り越える鍵は無感情にあります。人々が無感情になるか、あるいは重度の鬱のような精神的な病理による絶望を心に宿らせ、人生から希望や幸福を取り払うことが生存の決め手になるのです」
皮肉にもそれはこの実験チームのメンバーが互いの半生を振り返り、亡くした友人や家族へ思いを馳せ、励まし合う最中で起こった突然死からの気づきであった。いまだにその他の原因は不明だが、この幸福ホルモンが死を招く原因であることがこの日、世界に明白となった。
国連の国際会議でこの講演をした研究チームリーダーのデイヴ・K・ドーソン教授は最後に「いいですか皆さん、この世は優しい人が死ぬ世界へと変貌したのです。私はもう……このような世界で人生を歩みたくありません」と述べ、拳銃で頭を撃ち抜いて講義を締め括った。
この映像は世界に中継され、それを発端に突然死現象は急速に減少した。しかし代わりに自殺者が徐々に増していった。
生き残りたい人々は映画、読書、あらゆる娯楽を諦め、まるで道端に繁る雑草かの如く生えているだけの無感情な日々を選択し、そうでない人々は自ら選択した感動の頂点で、幸福な死を迎えた。