『クライ・マッチョ』それは真に人生の勝利者の物語
「人生のおける幸せは他者からの賞賛によってもたらされるのではなく、自身の行いから導き出されるものだ。」
そうイーストウッドは、言っているようである。
齢91歳になるクリント・イーストウッド。
撮影のペースが速いことで定評の彼ですが、この歳に差し掛かれば今後どの作品が遺作なってもおかしくない。
だからこそなのか、近年の作品は彼亡きあとの世界に残される我々に対して遺言めいた語り口で、静けさと情熱を持って訴えかけてくる作品ばかりです。
今作の序盤で、夕暮れに包まれてメキシコの荒野とイーストウッド自身がシルエットで照らし出され、彼はそこに横になり地平の影と同化してひとつに交わるというワンカットがありますが、このシーンが鳥肌が立つぐらい美しい上に、自身の最期を覚悟しつつ、人生の諸行無常まで表しているかのような最高のワンシーンでした。
幸福は承認欲求からでは授かれない
この物語には、スマホやインターネットは出てこない。
ツイッターやFacebook、インスタグラムのようなSNSも、それによってもたらされるグッドボタンやフォロワー数がどうこうなど、現代社会における数字に変換された空しい人生指数(それが全てだと勘違いしている人や状況がなんと多いことかッ!)、ランキング主義、それによる有象無象の幸福や問題は一切ない。
それは物語の舞台が1978年だということもあるが、それだけではない。(面白いのが、同じ年代を舞台にして全く逆の顛末を迎えるのが『ハウス・オブ・グッチ』コチラの記事はまた後日!)
現代のような情報過多社会ではなく、他者からの承認や賞賛によって自身の価値を定めなくても、長く儚い人生という時間の中で真の幸せを手にすることが本当の勝利者なのだと教えてくれる。
主人公は、かつてテキサスで伝説的だったロデオ選手で、カウボーイだった男マイク。彼は友人ハワードの頼みでメキシコにいる前妻と暮らす13歳の息子ラフォを連れ戻す旅に出ることになるが、図らずもラフォの成長と自立に向けた手助けをし、さらには自分がいるべき場所、帰るべき家を見つけるという物語である。
あらすじだけを話せばなんてことはない、よくあるロードームービーの定番であり、捻りは全くない。
しかし、この映画には徹底した人間主体の幸福のカタチが描かれる。
それは金を稼ぐことでも、良い服や物を揃えることでも、ロックスターになって崇められることでもない。
イーストウッドの語る幸せとは、目の前にいる少年に対し、隣にいる女性に対し、自身と関わりのある様々な他者に対し、どう誠実に携われるか?ということであり、そこから自分の幸せが導き出されるといっている。
精神と物質で二分した幸福の形
思えばこの映画の登場人物で、男たちに囲まれながらメキシコの豪邸に住み何不自由なく暮らしているハワードの元妻も、心は孤独で薬に溺れている状態で幸せとは程遠い。
息子を取り戻したいハワードも、その理由には愛情が全てではなく、元妻への不動産投資の回収も兼ねていて、金の為に息子を利用したのである(この問題に関しては、今後ラフォ自身で立ち向かわなければならないが……)。
この映画においては彼らは愛情や想いではなく、金や物質的な贅沢が幸福の大きな要素だと信じて疑わない、ある種の悪しき存在として描かれる。
それに対して、メキシコの小さな村に住む人々は互いに助け合い、貧しくとも人と人との関係の中で優しくまた強く生きている様子が描かれる。
この対比の中で老いたカウボーイが選んだ幸福は、社会的なものではなく、より人間的なものであった。
彼は大切な人とその環境の中に交わることを選び、それは結果として金や物質という資本主義社会ではなく、魂の安らげる場所であった。
それは彼のエゴであるかもしれないが、同時に人間が本質的に欲する幸福の形の最大値のようにも感じてしまう。
金や物を幸福に結びつけるのは限界なのでは?
21世紀を迎え、あらゆることが今までにない速度で目まぐるしく変化する時代、大規模な金融危機や災害、環境破壊が我々を襲う中、去年は『ノマドランド』や『ミナリ』といった経済 / 資本主義社会からの脱却や諦観と、自然への回帰を描く作品が強く評価された。
近年アジアにおいても是枝裕和監督作『万引き家族』、ポン・ジュノ監督作『パラサイト』は資本主義的な社会をいかに欺き、サバイバルするのか?という生存戦略としての哀しき闘争が描かれた。
だからこそ高級車、高級時計、高級スーツを着こなす物質主義の象徴的ヒーローのジェームズ・ボンドも去年死んだ。
多くの人が気付いているように、もう色々と限界なのだ。
金銭や物質、他者からの承認によって得られる幸福は、死を目前にしたイーストウッドには届かない。
いや、そもそも誰しも必ずいつかは死にゆくからこそ、そんな幸福は本質的にはまやかし、嘘っぱちなのである(生活や事業のための経営が悪いというのでなく)。
僅かな自身の残り時間の中でイーストウッドは、この先また何かを残そうとするのだろうか?だとしたら何だろう?
そんな期待を抱きながらも彼は、金や資産ではなく(そりゃ遺族のスコットやカイルは受け取るでしょうが)、生き様や魂を映画という形で多くの人々に残している。
これこそ彼にとっても世界にとっても、幸福なことだと思いながら、この映画を堪能しました。
と言いつつ、お金がもらえるなら色々頑張っちゃう自分もやっぱり自分なんだけど……
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