平坂のカフェ 第4部 冬は雪(20)
あの後、両親と友達たちが私の元に駆けつけた。
警察が駆けつけて男は逮捕された。
話しによるとアパレル会社の専属アーティストだったが今回、私が採用されたことで戦力外通告を受けたことの逆恨みだったらしい。通告だけで契約を切った訳ではないので場所も知られていたらしい。
友人は、警備の杜撰さとアパレル会社の対応と人材の扱い方、何より私に危害がくわえられた事に怒り、訴訟も辞さない考えだったが曲がりなりにもコラボレーションの相手、訴訟ではなく売上の比率を有利にすることで落ち着いたそうだ。
私は、病院で怪我を診てもらっていた。怪我自体は頬を打たれた程度で大したことはない。ただ精神的なショックで立ち上がることが出来ず、一日入院することになった。
友人は、私に何度も謝罪したが「大丈夫だから」と答えた。友人は仕事でこの埋め合わせはさせてもらうと社長として毅然とした態度で言った。
両親と友達たちは凄い心配してくれたが、「この程度で大袈裟よ」「明日には元気になってるから」と止まる勢いだったのを無理やり帰ってもらった。
そして現在・・・。
私の病室に彼がいた。
彼は、簡素な椅子に座り、変わらない優しい笑みを浮かべて私を見ていた。
彼と目が合う。
私は、恥ずかしさに目を反らしてしまう。
それを見て彼はまた笑う。
さっきからそれの繰り返しだ。
「・・・いつ帰ってきたの?」
私は、ようやく声を絞り出すことが出来た。
「2週間前ですよ。イタリアの師匠からの紹介で今日のパーティの料理を作るために帰国したんです」
それだから日本に帰ってきて友人の会社の人に話しを聞くまで"KAnA"が私であることも知らなかったそうだ。
「修業中は満足に携帯なんて弄れないから先輩がこんな有名人になってるなんて知りませんでしたよ」
彼は、そう言って笑う。
「頑張ったんですね。おめでとうございます」
私は、顔を上げる。
それは幻の彼に言ってもらいたかった言葉。
「・・・ありがとう」
私は、拗ねた可愛くない言い方でお礼を言う。
違う、こんな風に言いたかったんじゃない。
「・・・連絡・・くれなかったね」
それなのに私はまた可愛くないことを言う。
案の定、彼は困ったように頬を掻く。
「すいません。帰国が正式に決まったのその1週間前だったのでとても連絡する暇がなかったんです。帰国してからもずっと打ち合わせでしたし・・・。でも、今回のパーティのパンフレットに俺の名前が乗ってたみたいで何人かからは連絡もらいました」
それを聞いて友人たちのあの反応の意味がようやく分かった。
なるほど・・・棚から牡丹餅のサプライズのつもりだったのか。
「ごめん。全然見てなかったよ」
「そりゃそうですよ。なんせ今回の主役ですもの。忙しかったでしょう。実はスタッフ特典で先に絵を見せてもらいましたがどれも素晴らしかったです。木の生命力をヒシヒシと感じました」
「・・ありがとう」
私は、小さく会釈する。
すると、彼は何か言いたげに指をモジモジさせる。
「どうしたの?」
「・・・あの桜の木の絵って・・あの時の桜の木ですよね?」
桜の木・・・。
私が描いた新作4点で唯一評価が低かった作品。
当然、コラボレーションの絵には選ばれず、今日見た観客たちの印象にも残らないであろう作品。
しかし、そんな作品に彼は気づいた。
あの時の桜の木だと気づいてくれたのだ。
「・・・そうだよ」
私は、答えを言う。
それを聞いた彼は一瞬、嬉しそうにしたがすぐに翳りがさす。
沈黙が流れる。
頬の痛みより遥かに痛い沈黙が・・・。
私は、次の言葉すら思いつかず、彼の顔をまともに見ることも出来なかった。
沈黙を破ったのは彼だった。
「オレ・・しばらくは日本に滞在して、イタリアの師匠に教えてもらった店で手伝う予定です。それが終わったらまたイタリアに戻ります」
帰る・・・。
イタリアに・・・。
私の心に絶望の帷が降りる。
「だからその前にもう一度会ってくれませんか?」
「えっ?」
「だから会って、もう一度話しを聞いてくれませんか?お願いします」
彼は、深々と頭を下げる。
私は、それを見て小さく頷くことしか出来なかった。
彼は、それを見てにっこりと微笑む。
「また連絡します」
それだけを言い残し、彼は帰っていった。
私は、彼が座っていた椅子をずっと見ていた。