半竜の心臓 第6話 捜索(1)
不器用に掘ったような暗い洞穴に鼻を近づけた瞬間、腐肉と汚物の臭いが鼻腔を殴りつける。
ロシェは、反射的にするように背中を向けて岩穴から逃げるように離れると倒れるように座り込んで何度も嗚咽する。
ヘーゼルがロシェの背中を優しく摩る。
「だから無理しなくていいって言ったのに・・」
リンツは、心配するようにロシェを見る。
短い樫の木の杖を垂直に構え、左手に数枚の鳥の羽と干した魚の頭を持つ。
「魚よ魚。暗い空を彷徨い、その目に映したものを我に示せ」
樫の木の表面に魔力のこもった文字が輝く。
「魚眼」
左手に持った魚の頭が浮かび上がり、鳥の羽がその後ろに張り付いて短い翼へと姿を変える。
翼を生やした魚の頭は、ゆっくりと翼を羽ばたかせて岩穴の中に入っていく。
リンツは、目を閉じ、文字の輝く樫の木の杖を右に、左に、そして前へと動かす。
魔力のこもった文字が消える。
リンツは、目を開ける。
「どうだ?」
アメノがリンツの隣に立って聞いてくる。
リンツは、首を横に振る。
「自警団の言うとおり、この中にはゴブリンどころか獣もいないっす」
「そうか・・」
アメノは、猛禽類のような目をきつく細め、振り返る。
闇すらも吸収するような深い森がアメノ達を包囲するように広がっていた。
天井裏から見つかった遺体を皮切りに失踪した家族の住んでいた家の天井裏を探ると心臓のくり抜かれた遺体が次々と見つかり、村は狂乱した。
切れ味の悪い刃物で切り抜かれたような左胸の傷はゴブリンが黒曜石か獣の骨を削って造った刃物の傷に似ていることからゴブリンの仕業であることはほぼ確定した。
自警団達は、直ぐにでも森に飛び込み、ゴブリンを皆殺しにすると意気込んだがアメノがそれを制した。
理由は2つ。
ゴブリン以外の存在がいるかもしれず、正体もしれないものと戦う時、間違いなく足手纏いになること。
もう一つは・・・。
アメノは、ロシェを見る。
ロシェは、ようやく気分が落ち着き身体を起こすとヘーゼルが水の入った皮袋を渡す。ロシェは小さく笑みを浮かべて皮袋を受け取り、水を飲む。
アメノは、目を細める。
これ以上、下らない偏見の目にロシェを晒さないこと、だ。
もちろん、そんな思惑は口にも態度にも出さず、自警団には危険だから自分たちだけで行くと告げた。
ヘーゼル達だけだったらそんな事を言っても鼻で笑われただけだろう。しかし、聖剣アメノの名声は彼らを説得するには充分過ぎるほどの効力を発揮し、自警団は喜び勇んで、自分達の持てる限りの治癒薬や食糧を渡してアメノ達を送り出した。
リンツは、そんな村人や自警団を「げんきんな奴ら」と蔑み、彼らの侮蔑と嫌悪の視線に疲れ果ててたロシェはほっと胸を撫で下ろしていた。
ゴブリンが住むと言う森の中に足を踏み入れると村人達からのもらった地図を頼りに巣穴へと向かい、探りを入れたが結果は前述の通りだ。
彼らは、この巣穴を捨ててこの森のどこかに新たな寝ぐらを造って潜み、誰にも気づかれぬように村に忍び込んで
人を殺し、心臓を奪っているのだ。
「でも、なんで心臓なんか奪うんすかね?」
リンツは、眉根を寄せる。
「ハツ焼きが好きな奴でもいるんすかね?」
リンツの言葉にヘーゼルは、露骨に嫌な顔をする。
「恐らく・・」
ロシェは、水の皮袋の蓋を閉めてヘーゼルに返す。
「ゴブリンと一緒に潜んでいるであろう竜が関係してると思います」
ロシェの言葉にリンツは、訝しげな表情を浮かべる。
「竜は相手の心臓を食べて力と記憶を得ることが出来ます。もし、ゴブリンと一緒にいるのが竜なら彼らを脅して心臓を持って来させているのかもしれません」
「でも、それって竜同士のことですよね?」
ヘーゼルが入ってくる。
「人間の心臓なんて食べたところで力なんて得ることは出来ないんじゃあ?」
ヘーゼルの言う通りだ。
別種である人間の心臓なんて食べたところで腹を満たすだけで力になんてなりはしない。
それは父たる白竜の王の娘であるロシェが1番よく知っていた。
しかし、それ以外に心臓を抜き取る理由なんて考えられなかった。
「ごちゃごちゃ考えても仕方ねえ」
ロシェの手がぐいっと引かれて立ち上がらされる。
アメノの猛禽類のような目とロシェの目が合う。
ロシェの心臓が小さく高鳴り、ほおが微かに熱くなる。
「奴らを見つければ答えなんてすぐ分かるさ」
アメノは、ロシェの些細な変化に気づいた様子もなく、背後の森を指差す。
「気分が治ったばかりのところ悪いがもう一度鼻を効かせてくれないか?」
「・・・はいっ」
ロシェは、小さく息を吐くと鼻を森に向けて空気と一緒にゆっくりと吸い込んだ。
森の冷たい冷気と草いきれが鼻腔に入り込む。
「・・・獣の臭いがしないです」
「こんな深い森なのに?」
リンツが顔を顰める。
ゴブリンの旧巣穴に来るまでの間も小動物は愚か鳥にすら出会わなかった。
「恐らく森にどこかに潜んでる何かに怯えて逃げたのだろう。他には?」
アメノに促され、ロシェはさらに鼻腔の奥に匂いを吸い込む。匂いだけでなく、耳にも力を入れる。
「・・・微かに巣穴から漂ってきた汚物と血の匂いがします」
ロシェの言葉にアメノの眉が動く。
「他には?」
「竜の匂いはしません。その代わり・・車のような臭いがします」
ロシェの言葉に3人は一様に怪訝な表情を浮かべる。
「車の臭い?」
ヘーゼルは、首を傾げる。
「鉄と車が走ってる時に漂う硫黄みたいな臭いがします」
アメノとリンツが目を見合わせる。
「精製された石油?」
「錬金術師でもいるっすか?」
精製された石油は、錬金術と呼ばれる科学を基礎とする技術から生み出されたつい最近出来たものだ。主に車や電気を生み出すのに使われているが、こんな森の中で漂うのは明らかに不自然だ。
「それはどこからだ?」
アメノに促され、ロシェは臭いのする方向を指差す。
「目に見えるところよりもさらに奥からです。何か金属がぶつかり合うような音もします」
ロシェの言葉にヘーゼルの顔に緊張が走る。
「もういい。ありがとう」
アメノは、礼を言ってロシェの肩に手を置く。
力強い手の感触に驚き、戸惑いながらもロシェは「はい」と返事する。
(なんで?私・・)
自分の中で起きてる心の揺れ動きにロシェは戸惑う。
アメノの声に、動きに、触れられることに過敏に反応してしまう。
こんなこと父たる白竜の王に身体を舐められた時だって起きなかった。
これは・・・。
「とりあえずこれ以上の手がかりがない以上行くしかない」
「そうっすね」
リンツは、短い樫の木の杖を両手で持ってぐいっと身体を伸ばす。
「魔法はまだ使えるか?」
「灯りと魚眼しか使ってないから余裕っすよ。ヤタ先生のように笑いながら大きな魔法は使えないっすけどある程度の戦闘と旦那の後方支援くらいなら余裕っす」
リンツは、無邪気に笑う。
アメノは、ヘーゼルを見る。
「神鳴はどのくらい使えますか?」
アメノの言葉にヘーゼルの表情が青ざめる。
神鳴。
ロシェの脳裏に雪山で紅玉の勇者が大槍から放った巨大な稲妻が浮かぶ。
しかし、ヘーゼルは少し戸惑ったように顔を俯かせ、リンツの綺麗な顔に翳りがさす。
ヘーゼルは、アメノの前に右手を差し出す。
バチっと音を立てて雷が火花のように弾ける。
それだけだ。
それ以上は何も置きなかった。
アメノは、じっとヘーゼルの手を見る。
ヘーゼルは、恥ずかしそうな手を引っ込める。
「ご覧のように私は攻撃系の神鳴をほとんど使えず、1人ではそれこそゴブリン1匹殺せません」
アメノは、目を細める。
「それでアクアマリンと言うことですか?」
「・・はいっ。10歳の時に神鳴が発現し、勇者となりましたが、このように勇者の才能があっても武の才能が私にはないのです」
だから、前衛をアメノにお願いしたのかとロシェは納得する。
確かに、これでは戦えない。
「そうか」
アメノは、短く答える。
「でもでも旦那!」
リンツが割って入る。
「確かにヘーゼルは戦いは苦手っすけど凄く頭が良くて、それに他の勇者には出来ない・・・」
「武器は?」
「えっ?」
「武器は何を使えますか?」
アメノに問われ、ヘーゼルは慌てて腰の後ろに手を回す。
「これです」
腰の後ろから取り出したのは小振りの銃であった。
形は検閲所にいた兵士が持っているものと変わらないが先端が少し短い。
「デリンジャーという銃です。小振りで殺生力は低いですが反動が少ないので私でも・・」
「それでは身を守るくらいは出来ますね」
アメノは、短く言う。
「森や洞穴の中では跳弾する可能性があるので使う時は状況を見て使ってください」
「・・・わかりました」
アメノの淡々とした、しかし的確な指示に圧倒されてヘーゼルは頷くしかなかった。
これではどちらが一行のリーダーか分からないな、とロシェが思っているとアメノがこちらを見る。
「ロシェはリンツと並ぶか後方から付いてきてくれ。怪しい気配があったら逐一教えて欲しい」
「分かりました」
ロシェは、頷く。
「火はくれぐれも吹くなよ。敵だけじゃなく、自分たちも巻き込まれる」
ロシェは、目を丸くする。
そうだ。ここは森の中だったんだ。
ロシェは、何度も頷いた。
「火吹けるんすか?」
リンツが目を輝かせて言う。
「はい。そんな沢山じゃないですが」
ロシェは、恥ずかしそうに言う。
「でも、確かに森の中じゃ確かにダメっすね!私の後ろに隠れていてるっす」
しかし、リンツの提案にロシェは首を横に振る。
「リンツ様は戦いに専念してください。自分の身くらいは何とか守ります」
「でも・・・」
「私にはこれがあるので」
そう言うとロシェは背中に背負ったバックパックを下ろすと中身を取り出す。
ロシェが取り出した物を見た瞬間、アメノの猛禽類のよつな目が揺れる。
それは短い棘が無数に付けられた少し小降りの鎖つき鉄球であった。
リンツも鎖付き鉄球を見て表情が固くする。
「ロシェ・・・それどうしたっすか?」
「ヤタ様が下さったんです」
「ヤタが?」
アメノの言葉にロシェは頷く。
「あの日、魔術学院に送った時に手伝ってもらった報酬に頂いたんです。アメノ様がイヤらしいことしたらコレで殴りりなさいって」
ロシェは、半目でアメノを見ながらブンっと鎖付き鉄球を近くの小さな木に向かって振り回す。鎖が大きくしなり、鉄球が木の幹を打ち付ける。
その瞬間、鉄球に付いた棘が獣の牙のように木の表皮を抉り、鉄球の半分が幹の中にめり込むと鉄球のめり込んだ部分を中心に亀裂が走り、木は真後ろに倒れ込む。
「へっ?」
予想以上の威力にロシェは、驚き、何度も棘付き鉄球を見て、逆の手を口に当てる。
「ロシェさん、意外と力持ちなんですね」
ヘーゼルが目を丸くして言う。
「いや・・そんな・・・」
ロシェは、首を思い切り横に振って否定する。
「それには付与魔法が備わってるっす」
リンツは、緑色の目をきつく細めて棘付き鉄球を見る。
「付与魔法?」
ロシェは、怪訝な表情を浮かべる。
「武器や道具にかける魔法。俗に言う魔法の剣のようなものっす」
リンツは、自分の樫の木の杖を見せ、表面に彫られた魔力のこもった文字をなぞる。
「それにも細かい文字が彫られてるはずっす」
リンツに言われて良く見ると鉄球や鎖、柄にリンツの樫の木の杖に彫られてる文字と同じような文字が刻まれている。
「その棘付き鉄球に備わってる魔法は3つ、全体を軽くする軽羽と威力を上げる衝撃、そして特定の人物だけが触れた時に発動する鍵っすね」
「鍵?」
ロシェは、首を傾げる。
「それを地面に置くっす」
ロシェは、言われるままに棘付き鉄球を地面に置く。
「ヘーゼル、持ってみるっす」
ヘーゼルは、リンツに促され、棘付き鉄球の柄を握る。
しかし・・・。
「動かない・・」
ヘーゼルがどれだけ力を入れても、どんな姿勢を取っても棘付き鉄球は根が生えたように動かなかった。
「ロシェが持った時だけ2つの魔法が発動するようになってるっす。つまり・・・」
「私、専用の武器だ」
ロシェは、棘付き鉄球を軽々と持ち上げる。
その表情は、驚きながらも輝いていた。
「凄い!ヤタ様。あんな短い時間で私専用の武器を造ってくれるなんて・・・本当に大魔法使いなんですね」
ロシェは、嬉しそうに言う。
自分の専用だと思うと受け取った時は無骨だと思っていた武器も可愛らしく見えてくる。
しかし、ロシェの喜びに反比例するようにリンツの表情は複雑に歪んでいた。
「本当・・凄いっすね?」
リンツは、きつく目を細めてアメノを睨む。
「アレを・・どうやってロシェが持てるようにしたんすかね?」
しかし、リンツの言葉にアメノは答えない。
じっと自分専用の武器を持って喜ぶロシェを見ているだけだ。
「・・・下手に振り回すなよ」
アメノは、それだけ言うと森の中に入っていく。
それに気づいたロシェとヘーゼルは慌ててアメノを追いかける。
リンツは、唇を噛み締め、じっとアメノの背中を睨みつけていた。