明〜ジャノメ姫と金色の黒狼〜第9話 汚泥(4)
ウグイスは、早くも心が折れそうだった。
アケは、直ぐに見つかった。
屋敷のとんがり屋根の屋根裏、家精のアヤメが普段過ごしている部屋の隅で両膝を抱えて縮こまって座っていたのだった。
教えてくれたのはアヤメだった。
アケがアヤメのいるとんがり屋根の屋根裏部屋にやってきたと聞いた時は思わず耳を疑った。
アヤメに対して並々ならぬ嫉妬心を抱くアケが行くだなんて考えもしなかった。
(つまり正常な判断ができないくらい混乱ってるってこと・・?)
ウグイスは、額に手を当てて大きく息を吐く。
「あの・・・ウグイス様」
隣に立つアヤメが恐る恐る上目遣いで聞いてくる。
そのあまりに憂いの帯びたような美しい顔に、少しだけアケの気持ちが分かるような気がした。
「差し出がましいようですが一体どんな話しを奥様にされたのですか?」
口元に小さく固めた手を当ててアケを見る。
「ただの"大人の階段を登るお勉強"しただけでこんなになるものなのですか?」
「いや・、う・・うんっ」
ウグイスは、言葉に詰まる。
それはこちらが聞きたいことだった。
何故、こうなってしまうのか?
もっとオブラートに話せば良かったのか?それとも未経験のウグイスじゃなくて青猿に・・いやそれこそウグイスでも耳を塞ぎたくなるような話しを面白がって話されるに決まってる。
それに課題だって難しいものではない。1度もキスしたことないカップルならともかくしっかりと経験済みなのだ。人前でやる必要もないのだから隠れてこっそりやってもいい。
つまり経験のある2人ならちょっと気恥ずかしいくらいの優しい課題なのだ。
それなのに・・・。
ウグイスは、今にも部屋の隅で壁に溶け込んで同化しそうなアケを見てため息を吐く。
「あの・・ウグイス様」
アヤメが声を掛けてくる。
形の良い目が吊り上がり、きっと唇が結ばれている。
「私もこの家の繁栄の為ならと焚き付けた1人になるのでしょうが、こんなに奥様を追い詰めるようなことは頼んでおりません」
アヤメは、怒りを滲ませ、責めるように言う。
美人が言うと迫力も違う。
ウグイスは、頬を引き攣らせる。
「いや・・・でも・・・」
「でもも何もありません!」
平手打ちが飛んだかと勘違いするような鋭い叱責の声を上げる。
「何をしようとされてかは存じませんが即刻お止めください!」
それだけを言うとアヤメは、足音を立てずにアケの所に行き、慰めの言葉を掛ける。
ウグイスは、急激に身体から力が抜け、頭が冷えていくのを感じた。
(私、何やってんだろ?)
別にアケがツキとキス出来なかったからってあの2人が仲違いなんてする訳ないのに。と、言うかキスしてるし。
あまりにもアケが世間知らず過ぎて手を貸したくなってしまったが余計なお世話だったようだ。
ウグイスは、自分の頬を叩いて気分を切り替える。
(よし、この遊びは、終了だ)
アケに告げて、王達に説明してオヤツでも食べよう。みんなに心配かけたお詫びにアケのお菓子作りを手伝ってもいい。
ウグイスは、そう決めると小さく笑みを浮かべてアケに近寄る。
(でも、なんかちょっとがっかりだな)
アケならこんな簡単なことすっと出来ると思ってたのに自分の買い被りだったかと、肩を落とす。
まあ、いいか。
だからと言って自分とアケとの関係が変わるわけではない。
王の次にアケのことをよく知ってるのはきっと自分だ。今回もアケの苦手な面を知れたと思えばそれでいい。
そんなことを思いながらウグイスは、アケに「終わりにしよう」と告げた。
しかし、アケから帰って来たのは予想外な言葉だった。「いやだ・・・」
アケの口から放たれた言葉にウグイスは、瞬きし、アヤメと顔を見合わせる。
「アケ・・?」
ウグイスは、困ったように眉を顰める。
「もう無理しなくていいんだよ。ごめんね。アケだって苦手なものあるよね」
「そうですよ奥様。よくは分かりませんが苦手なものがあるのは悪いことではありません。むしろ奥様は得意なことが多い方です。気になさることはありません」
ウグイスとアヤメは、交互に慰めの言葉をかける。
しかし、アケは「いやだ、いやだ」と首を横に何度も振って聞かない。
流石のウグイスもムッと腹を立てて「アケ!」と怒鳴ろうとして、言葉を飲み込んだ。
ウグイスを見上げたアケの顔。
唇が戦慄き、白い肌から血の気が引き、そして蛇の目が瞳意外の部分も赤く染まり、大きく潤む。
まるで暗闇に閉じ込められて怯える子どものようであった。
明らかにいつものアケではない。
(ここまで追い詰めちゃってたの?)
ウグイスは、胸がきゅっと締め付けられる。
罪悪感が湧き上がる。
「お願い、ウグイス・・・私・・頑張るから・・」
アケは、必死に懇願する。
しかし、ウグイスは首を横に振り、しゃがみ込んでアケをぎゅっと抱きしめる。
「ごめんアケ。まさかアケがこんなに思い詰めるなんて思わなかった」
ウグイスは、アケの耳元で声をかける。
「もういいんだよ。やらなくて。アケにはアケのペースがあるんだから。きっと王も分かってくれてるよ」
分かってくれてるどころか王がそのような事で心揺さぶられる訳はない。男女の事には正直まだ疎いウグイスだが王の器の大きさは幼い頃から分かってるつもりだ。
「きっと?・・・分かる?」
アケは、ウグイスの言葉を反芻する。
ウグイスは、それがアケの気持ちの荒波が少しずつ凪いで行っているのだと思った。
しかし、実際は違った。
抱きしめているウグイスにはアケに浮かんだ表情が見えない。
こちらの様子を伺っていたアヤメの表情が青ざめる。
「そうだよ。王はアケのこと大好きだもの。そんな事で怒ったりしない。ちゃんとアケの気持ちを考えてくれてる。ましてや・・・」
嫌ったりすることなんてない、そう言いかけた時である。
抱きしめるアケの身体が強張る。
アヤメの口から「あっ・・」と小さくて声が漏れる。
「・・・ひどい」
「・・えっ?」
次の瞬間、ウグイスの華奢な身体が強い力に突き飛ばされ、床に倒れる。
ウグイスは、何が起きたのか分からなかった。
突き飛ばされた?誰に?
そんなのは分かりきった答えを胸中で自問する。
いつの間にかアケが立ち上がっていた。
ウグイスは、彼女を見上げ、背筋を凍らせる。
彼女は、大きく肩で息を吸い、頬を赤く上気させ、表情に怒りと絶望を合わせたように唇を歪ませ、充血した蛇の目でウグイスを睨みつけていた。
「ウグイスの嘘つき・・」
「えっ・・・」
「ウグイスが言ったんだよ・・このままじゃ主人に嫌われるって。愛が伝わってないって・・」
アケのぎゅっと握られた手が震える。
「それなのにきっと分かってくれるって何?怒ったりしないって何?ウグイスは私を揶揄って遊んでたの⁉︎」
「違う・・そんなことない!」
ウグイスは、声を震わせて否定する。
「私は、アケの為を思って・・・」
「嘘だ!」
ウグイスの言葉を遮ってアケは叫ぶ。
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!もうウグイスの言うことなんて信じない!」
ウグイスの目が大きく震え、表情が固まる。
「ウグイスも・・」
アケの言葉が今にも泣き出しそうに震える。
「ウグイスも結局、私のこと嫌ってたんだね」
アケは、蛇の目から涙を溢れさせ、身がそのまま刻まれるのではないかと思えるような冷たい絶望の言葉を吐き出した。
「ウグイスのこと・・友達だと思ってたのに・・」
そしてアケは、悲鳴のように大きく泣き叫び、ウグイスとアヤメの前を通り過ぎ、部屋から出ていく。
アヤメは、慌ててアケを追いかける。
しかし、ウグイスは床に尻を付けたまま立ち上がることが出来なかった。
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