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ドレミファ・トランプ 第五話 ポンコツとルビー(3)

「音楽かぁ」
 馬場明璃あかりと出会ってから四葉の脳裏には常にその単語ワードが頭の中に浮かんでいた。
 あの日以来、彼女とは会っていない。
 町ですれ違うこともない。
 大きな町ではないとはいえ、学区も違えば、黒札小と赤札小は昔から何故か仲良くないので交流もない。それでもBEONや赤札小の近くに来ると彼女がいないかを探してしまう。
 そのくらい彼女との出会いは四葉にとって運命的で衝撃的な出来事だった。
 家出から戻ると四葉は父と祖父母、そして義母に謝った。四人は「どこに行ってたんだ!」「どれだけ心配していたと思ってるんだ!」「無事で良かった!」と怒りと安堵の声を上げた。
 こんなに心配してくれてたんだ。
 父と祖父母だけでなく、まだ付き合いの浅い義母までもがこんなにも心配し、そして愛してくれていたのだ。
 それだけではない。
「四葉……良かった」
 義理の弟が泣きながら四葉を抱きしめたのだ。
 義母の話しによると四葉が家出したのを聞いた弟は彼女を探しに家を飛び出した。そしてどれだけ探しても見つからない四葉の身を案じ、泣き崩れていたらしい。
 この瞬間、嫉妬の対象でしかなかった彼が本当の弟になった。負の感情が消えはしなかったが嘘のように鎮まっていった。
 それから四葉の生活は少しずつ変わっていった。
 父と祖父母の言葉を素直に受け入れ、優しい義母とは未だ緊張するものの実の母とよりも心を開いて話すことが出来、いつのまにか女子トークというものも出来るようになった。そして義理の弟とのわだかまりは消え、お互いを受け入れることが出来た。
 その変化は学校での生活にも影響が出て、運動は相変わらずだが、勉強が出来ることに感じてた必要のない劣等感が消え、今まで以上に取り組むことが出来、気が付いたら黒札小始まって以来の才女とまで呼ばれるようになり、ずっと陰キャだと思われていた彼女はいつの間にか神のように崇拝されるようになっていた。しかし、内気で気弱な四葉にとってはそれに対してどう反応したら良いか分からず、困っていた。
 そうした生活を送る中で四葉の頭から離れなかったのが、明璃あかりの存在であり、彼女が口にしていた音楽だった。
 いつか彼女と再会した時、少しでも彼女に誇れるように。そう思った時にやってみたいと思ったのが……音楽だった。彼女に影響を受けてないと言ったら嘘になるが、自分の意思で純粋にやってみたいと生まれて初めて思えたのだ。
 それから四葉は学校の先生に昼休みと放課後の少しの時間に教室のピアノを弄らせて欲しいとお願いした。ピアノ教室に通いたいんだけど、その前に少し練習したいからと理由を付けて。優等生として知られた四葉の願いは直ぐに許可されて放課後の三十分だけ触っても良いことになった。
 四葉は音符と音階、そして記号を理解した上でピアノに挑んだが……。
 散々だった。
 指が動かない。
 音符は読めるのに指がその通りにまったく動かない。
 女の子達が昼休みに遊びで"ネコ踏んじゃった"を弾いて遊んでいるのを見ていたからそれくらい簡単に弾けるだろう思っていたが、片手でやっと弾けるまでに一週間かかり、両手で弾くのに一ヶ月以上掛かった。加えてピアノを弾くのにもある程度の身体能力が問われるのか、一曲引き終わるだけで腕が攣りそうになり、筋肉痛になる。
 えっ?ピアノってこんなに難しいの?
 確か明璃あかりはクラシックを完全に弾けるようになるのに二年掛かったと言った。
 つまりたった二年で弾けるようになった……と。
 そして彼女の親友は音符の読めないところから三ヶ月で難曲を弾けるようになったと……。
(どっちも化け物じゃん!)
 明璃は、親友に嫉妬してる、まったく勝てないとか言っていたが、それは竜が魔王に嫉妬するようなもの。四葉のような下級怪物スライムにとっては嫉妬の生まれようのない別次元の存在だった。
 そう思った瞬間、ピアノは無理だ、と思った。一番最初に見聞きしたものがあまりにもデカすぎる。そんなものを追いかけたら心が壊れるじゃすまない。
 しかし、それでも音楽をやってみたいという欲求は消えず、四葉は次々に楽器に挑戦した。
 フルート、クラリネット、トランペットと言った吹奏楽器は音は出せるようになったが、息が続かなかった。ヴァイオリンはピアノと同等に指が固まったように動かず、体力が持たない。
 ギターとベースも同様で、四葉が演奏しているのを見て興味を持って一緒に練習を始めた義弟と幼馴染の方が上手になっていった。
(やっぱり私ってダメダメだ)
 四葉は、完全に心に芽生え始めた芽が枯れそうになっていた。
 そんなことを繰り返しながら五年生になった時のこと。
「歌なんかどう?」
 義弟が何事もなしに呟いた。
「歌?」
 そんな発想、まったくなかった。
 でも、確かにそうだ。
 明璃の演奏を聞いてから音楽=楽器というイメージで固まってたが歌だって立派な音楽だ。アイドルやテレビ番組に疎い四葉だって聴いたことあるし、実際にいいな、と思った歌だってある。
 しかし……。
「私が……歌?」
 楽器も弾けないような自分が歌なんてハードルの高いもの出来るわけが……。
「音楽の授業で四葉が歌ってるの聞いて凄くいいと思ってたんだ」
 義弟は、そう言って笑う。
「いいと思う」
 幼馴染も小さく頷く。
「幼稚園での合唱会で四葉が誰よりも上手だった」
 二人の意見に四葉は目を丸くする。
 私が歌……歌……。
 四葉は、半信半疑ながらも最後の挑戦と思って義母が探してくれた全国にチェーン展開している音楽教室の声楽科に体験入学した。
素晴らしいマーベラス!」
 音大出のフランス人講師が四葉の声を聴いた途端に褒めちぎった。あまりの褒めっぷりに四葉も義母も義弟も新手の詐欺なのではないかと疑ってしまった。
 しかし、それは心からの賛辞だった。
 四葉の高音域の声は清水のように美しく、明け方の小波のように心に染み込んでいった。楽器こそ出来なかったが音感も優れているので音域を丁寧に掴んで流れ、声量も同じ年の子よりもしっかり出ていた。運動神経がなく、筋力も弱いのに声量があることに四葉自身も驚いたが、講師曰く声量と筋肉は関係ない。四葉はこれからどんどん成長していけると言われ、思わず泣きそうになった。
 それから四葉は、教室に通い続け、歌の勉強をした。
 四葉の歌唱力は驚くほど上がっていった。飛躍的に昇るような才能がある訳ではない。それでも一歩一歩着実に講師からの課題をクリアし、六年生の秋、教室主催の発表会で小学生の合唱の部でソロの代表に選ばれた。
 とても嬉しかった。
 家族も幼馴染も祝福してくれて発表会を見にきてくれた。
 成果を出すことの出来た自分のことも少しだけ褒めることが出来た。
 これで……これで彼女に胸を張って会える。
 そう思った。
 しかし……。
(この欠陥品ポンコツ!)
 舞台に立った瞬間、その場にいないはずの実の母の声が聞こえた。
(私の言うことも聞けない癖に何調子に乗ってるの?)
 四葉の顔が青ざめ、脂汗が浮かんでくる。
(あんたなんて……生まなきゃ良かった)
 その瞬間、声が出なくなった。
 あれだけ練習したのに喉の奥に粘土の蓋で塞がれたように声が出なくなった。
 やめて……やめてよ……。
 四葉は、必死に声に出そうとする。
 しかし、掠れたような声が出るだけで最後まで四葉は歌うことが出来なかった。
 そんな四葉を誰も責めなかった。
 四葉が気弱なのは皆んな知っていたし、講師も「こう言うのは慣れだから。次は出来る。ファイト!」と励ましてくれた。
 それでも四葉は、立ち直ることが出来なかった。
 その後も何度も舞台に立つ機会をもらったがその度に実母の声が頭の中を響き、歌うことが出来なかった。
 結局、自分はダメなまんまなんだと責め、再び内の殻に閉じこもるようになる。
 青い目の美しい少女がじっと四葉を見る。
(ごめんなさい……私……貴方に会えない)

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