エガオが笑う時 第10話 一緒に帰ろう(2)
「私を殺すんですか?」
朗らかな声が私の耳を打つ。
私は、旋律を刻んだまま声の方を見る。
マナだ。
マナは、先程と変わらない笑みを浮かべたまま私を見る。
「やっぱりエガオ様は私のことがお嫌いだったんですね」
心臓が大きく跳ねる。
大鉈を握る左手が汗で濡れる。
「マナ・・・?」
旋律が狂い、集中が解ける。
マナは、深い笑みを浮かべる。
石畳を蹴り上げて私との距離を詰めると左腕を振り上げ、五指の爪を放つ。
私は、反応することが出来ず、攻撃を喰らいそうになるが、スーちゃんが私とマナの間に入り、後脚でマナの腹を蹴る。
マナは、小さく呻いて後ろに吹き飛ぶもすぐに体勢を整え、私達を見て微笑む。
「やっぱり嫌いなんだ。私のこと」
マナは、にっこりと微笑んで言う。
違う。
これはマナじゃない!
マナの身体を支配する凶獣病のウイルスと魔号が私を翻弄させようと言葉にしてるのだ。
そして私は、見事にその策略にはまってしまった。
マナの言葉じゃないと分かっているのに身体と心が震えて力が入らなくなる。
「マナ・・」
「エガオ様はいつもそうですよね。私がお風呂の準備しても、お着替えを用意しても、キッチン馬車に尋ねた時も少しも嬉しそうじゃなかった」
「そんなことない!私は・・・」
嬉しかった。
マナが私を気にかけてくれていること。
優しく微笑んでくれること。
エガオ様と名前を呼んでくれること。
全てが嬉しかった。
あの殺伐としたメドレーの中でマナだけが私の拠り所だった。
「じゃあ、なんで私には笑顔を見せてくれなかったんですか?」
・・・えっ?
「あの男には見せたんでしょう?あのおばさんにもお友達にも見せたんでしょう?」
マナの大きな目からうっすらと涙が溢れる。
「私・・・ずっと待ってたんです。いつかエガオ様が私に笑顔を見せてくれるのを」
カランッ。
私は、大鉈を地面に落とす。
「メドレーで働いている時も、キッチン馬車でお会いした時も、今この瞬間だって私は貴方が笑顔を私に向けてくれるんじゃないかって待ってた」
マナの顔から笑みが消える。
そこに浮かんだのは涙と失望に濡れる泣き顔。
「でも、貴方は一度も笑顔を見せてくれなかった」
私、その場に膝を落とす。
心に冷たい穴が空いたように苦しく、呼吸が出来ない。
マナは、ゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「エガオ様・・」
マナは、涙に濡れた顔を歪ませる。
「なんで笑ってくれないんですか?」
これは本当にウイルスが、魔号が言わせてるの?
私の呼吸は短く、荒くなる。
絶望に濡れるマナの顔から目を逸らせられない。
「エガオ様・・笑ってください・・」
スーちゃんがマナに攻撃しようと突進する。
その瞬間、マナの口から熱線が放たれる。
スーちゃんは、身体を逸らして熱線を避ける。黒い体毛が焼けて煙が上がる。
マナは、一瞬のうちにスーちゃんとの距離を詰めると炎の爪で石畳を削りながら左腕を振り上げる。
スーちゃんは、4本の脚を使ってその攻撃を防ぐ。が、左腕の炎が一気に吹き上がり、スーちゃんの全身を包み、焼き焦がす。
スーちゃんの口から小さな悲鳴が上がる。
炎が消える。
黒い体毛が焼け焦げたスーちゃんは、石畳の上に倒れる。
「スーちゃん!」
私は、悲鳴と共にスーちゃんの名を叫ぶ。
マナは、ニタァっとした笑みを浮かべて私に寄ってくる。
身体が震える。
手が、足が、身体中が震え、板金鎧を打ち鳴らす。
脳裏に浮かぶのは優しく、温かく私に笑いかけるマナの顔。
『エガオ様ぁ!』
マナの声が頭の中に響く。
「エガオ様」
『エガオ様』
現実と幻想のマナの声が重なる。
マナは、頭の中に浮かんだ幻のマナと遜色のない笑みを浮かべて私の前に立つ。
「マナ・・・」
私は、震える声でマナの名を呼ぶ。
マナは、にっこりと微笑んだまま何も言わない。
「ごめんなさい・・・」
私は、声を絞り出して言う。
マナは、きょとんっとした顔をする。
「ちゃんと笑えなくて・・ごめんなさい・・」
笑えなくてごめんなさい。
愛想が悪くてごめんなさい。
でも、笑えないの。
どう笑ったらいいのか分からないの。
マナのことが大好きなのに。
笑えないの。
笑顔を浮かべることが出来ないの。
「笑えなくて・・・ごめんなさい・・」
マナの表情から笑みが消える。
その顔に浮かんだのは白けたような、興醒めしたような、侮蔑の表情。
「つまんない」
マナは、ぼそりっと呟く。
「こんなのエガオ様じゃない」
マナは、口を大きく開ける。
青白い炎がランタンのように燃え上がり、膨らんでいく。
全身の力が抜けてしまった私は身動き一つできないまま青白い炎を見る。
「バイバイ・・偽物のエガオ様」
青白い炎が熱線となって放たれる。
私は、目を反らす事も瞑ることも出来ないまま熱線が身体を包み込むのを見た。
地面が砕け、灼熱が瓦礫を炭に変え、焦げた臭いが充満する。
白い煙がふきあがり、遠くから悲鳴が聞こえる。
マダムの泣き叫ぶ声。
4人組の悲鳴。
スーちゃんの嘶き。
マナは、冷めた表情で自分が攻撃した場所を見る。
その光景を私は、自分の目ではっきりと見て、自分の耳でしっかりと聞いていた。
「あっぶねえ」
焦った男の声が耳の側で聞こえる。
温かい温もりが背中と首筋を包み込む。
「間一髪ってまさにこのことだな」
男の声は、マナの耳にも届き、声の方を、私のいる方を見る。
私は、マナの攻撃した場所から数メートルずれた場所に座り込んでいた。
身体には青白い炎を受けた跡はない。
あるのは肩の痛みと優しい温もりだけ。
「まったくちょっと目を離した隙に大怪我しやがって」
耳元で囁かれる聞き覚えのある声。
私は、恐る恐る首を後ろに向ける。
鳥の巣のように膨らんだ黒髪が目に入る。
無精髭に包まれた唇が小さく吊り上がる。
「カ・・ゲロウ?」
私は、自分でも分かるくらいに呆然と呟く。
これが現実なのか、夢なのかまるで区別が付かない。
カゲロウと思われるものは私を背中から包み込むように両手を首筋に回し、頬が触れ合うくらいに顔を寄せ、鳥の巣のような髪に隠れた目から視線を送っていた。
「なにぼおっとしてんだよ」
ポンっ。
頭の上に優しい温もりが乗る。
その温もりはゆっくりと動いて私の髪を優しく撫でる。
温かい。
気持ちいい。
詰まっていた心がゆっくりと解きほぐされていく。
「カゲロウ・・カゲロウ?」
熱に浮かされるように呟く私にカゲロウはにっと唇を釣り上げる。
「ああっ」
くしゃっと私の髪の毛を撫でる。
「ただいま」
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