冷たい男 第7話 とある物語(5)
救急外来の席に座っていると30代くらいの女性が冷たい男に話しかけてきた。
「この度は、息子がご迷惑を!」
その言葉だけでこの女性が少年の母親であることが分かった。
確かに少し面影がある。
「いえ、大したことも出来ず・・・」
冷たい男は、椅子から立ち上がって頭を下げる。
「いえ、貴方は命の恩人です。あのまま誰もいなかったらどうなっていたか・・・・」
母親は、堪えることが出来ず嗚咽しながら涙ぐむ。
「息子は、生まれつき循環器の病気で気温の変化や興奮したりすると発作を起こしてしまうんです。ひどい時は呼吸すらままならなくなって・・・」
母親の言葉に冷たい男は、つい先程の少年の姿を思い出す。
身体に負担を掛けるほどの怒りと憎しみ自分に向けた姿を。
「息子さんはよくあの公園に1人で?」
そんなことを聞きたい訳ではないが、少年のことを少しでも知れればと思い、口を開く。
母親は、首を横に振る。
「いえ、初めてです。と、いうか私達が住んでるのはここではないので・・・」
場所を訊くと少女の大学のある駅の手前だった。
確かに病気の小学生が来るような距離ではない。
「ただ、最近1人で家を出てしまうことが多くて。今日も気づいたらいなくなっていたんです」
いなくなる・・・。
「それはいつ頃から・・・?」
少年の母親は、怪訝そうに首を傾げる。
「何故、そんなことを?」
母親の質問に冷たい男は、言葉に詰まる。
確かにそんなことを何で聞いてくるのだ、と自分でも思ってしまう。
「すいません・・・以前もあの辺りで見かけたような気がしていたので・・・」
動揺しながらも何とか誤魔化そうとする。
「そう・・・ですか」
母親は、そのまま納得する。
「やっぱり・・・受け入れられていなかったんだ」
今度は、冷たい男が怪訝とした表情を浮かべる。
「あの子・・・2ヶ月前に手術したんです。心臓の。そうすれば治ると言われて。あの子は希望を持って受けました。そうすれば他の子みたいに遊べるって。学校にも行けるって。それなのに・・・」
「ダメだった・・・んですか?」
母親は、頷く。
「医師に言わせれば前よりは良くなっているはずだ。後はあの子の生きる力次第だと言われました」
冷たい男の胸に痛みと怒りが走る。
「何ですか・・・それ・・・」
希望を持って大人ですら怖い手術を受けたと言うのに・・・。
母親は、小さく笑みを浮かべる。
「貴方は・・・優しいのですね」
冷たい男は、胸元を握り締め、顔を下に下ろす。
「私達も思いました。あの子を何だと思ってるんだって。でも、確かにあの子の身体が弱いのも事実です。私達はあの子が良くなるのを信じて支えていこうと思いました。そんな時なんです」
少年の母親は、形の良い唇を触る。
「あの子が"神様と約束した"と言い出したのは・・・」
冷たい男は、眉を顰める。
「神様?」
診察室の扉が開く。
年配の看護師が病衣を纏い、点滴に繋がれ、車椅子に乗った少年を連れてくる。
痛々しいが顔色は良くなっており、冷たい男は、ホッとする。
母親が少年に駆け寄り、抱きしめる。
「何してたの!」
母親が叱責すると少年は短く「ごめん」と謝る。
しかし、その目は母親ではなく、冷たい男を見ていた。
憎々しげに。
「お薬を打ったら直ぐに呼吸は落ち着きました。心音、脈拍も正常です。そちらの方が直ぐに救急車を呼んでくれたかは処置も早く出来ました」
看護師は、少年の頭を撫でる。
「お兄さんに感謝だね」
そう言ってにっこり微笑むも少年は笑わない。
冷たい男を睨みつけるだけだ。
年配の看護師は、顔を引き攣らせて頭に乗せた手を引く。
「ママ」
少年は、母親を見ずに呼びかける。
「このお兄さんとお話ししたいんだけどいいかな?」
「えっ?」
母親は、少年から手を離す。
「このお兄さんとお話しがしたい」
母親は、戸惑った様子で冷たい男を見る。
冷たい男は、何も言わずに頷く。
「それじゃあママ、先生とお話ししてくるわね。後、飲み物も買ってくるわ」
そう言って立ち上がると冷たい男に会釈して歩いていく。
看護師も頭を下げて去っていく。
そして少年と冷たい男だけになる。
「・・・」
「・・・」
痛い沈黙が2人の間を流れる。
冷たい男は、小さく息を吐いて再び椅子に座る。
「大丈夫みたいで良かった」
冷たい男が言うと少年は、少しだけ目を逸らす。
「何で助けてくれたの?」
少年の言葉の意味が分からず冷たい男は、眉を顰める。
「あのお爺さんといい、人助けは貴方の趣味かなんかなんなの?」
「・・・ごめんっ言ってる意味が分からないんだけど?」
「お陰で僕は神様との約束を守ることが出来なかった。どう責任を取ってくれるの?」
神様との約束・・・。
「ごめん。それはどう言う意味?」
冷たい男の問いに少年は答えない。その代わりに両手を前に出し、手の平を上に向ける。
少年の掌が変化する。
右手の平は、針のように伸び、左の平から直角の山のように膨らむ。
そして同時に風船のように肉が破裂する。
しかし、出血はない。
右手には茶色の羽根ペン、左手には黒い革に金糸の縫われた本が握られている。
"とある物語"
その言葉が冷たい男の頭を過ぎる。
「神様が言ったんだ。自分が選んだ人の物語を記せ。そうしたら僕に健康な身体をくれるって」
冷たい男は、崩れるように立ち上がる。
「その神様っていうのは誰⁉︎」
「神様は神様だよ」
冷たい男の問いに少年は、馬鹿にするように答える。
「"遊びの神"って言ってたかな。僕みたいな可哀想な子どもの味方なんだって。僕が健康な身体が欲しいって願ったから来てくれたんだ。そしてこれをくれた」
少年は、大事そうに"とある物語"を胸に抱く。
「これに死んだ人の物語を書くだけで僕に健康な身体をくれるんだ。なんて優しい神様なんだろう」
少年の目は、まさに神を信仰する信者そのものだった。
冷たい男は、背筋が震えるのを感じた。
「そんな得体の知れないもの信じちゃいけない!」
冷たい男は、少年から"とある物語"を取り上げようと手を伸ばす。しかし、ペンも本も少年の手のひらの中に沈んでしまう。
「得体の知れないって意味じゃ貴方も一緒でしょ?何で凍らすことが出来るの?」
少年の目は、とても冷ややかに燃えていた。
「貴方には僕を救えないでしょ?でも、遊びの神様は、僕を助けてくれるって言ったんだよ」
「その為に他の人を犠牲にしちゃいけない!」
冷たい男は、声を張り上げる。
しかし、少年には届かない。
ただ、冷ややかに、憎憎しくしく冷たい男を見るだけだ。
「何で・・・何で死んだ人間の為に僕が我慢しなくちゃいけないの?」
少年の発した重い言葉に冷たい男は、息を飲む。
「僕は、生きてるんだ。健康になりたいんだ。やりたいこともたくさんあるんだ。それなのに何で死んだ人のことを気にしなくちゃいけないんだ!」
少年の呼吸が短く、荒くなる。冷たい男を睨む目が痛いくらい赤く染まり、鼻から血が滴り落ちる。
「僕は、生きたいんだ!」
少年の命から絞るような叫びに冷たい男は、何も言うことができなかった。
その夜、少年は1日だけ入院することになった。
冷たい男に向かって叫んでいる少年を見た母親が大事を取って入院させて欲しいとお願いしたからだ。
冷たい男は、何かを言いたそうに少年に手を伸ばそうとするが、看護師に止められ、追い出された。
恐らく彼が少年のことを興奮させたと思われたのだろうが間違ってないし庇う謂れもない。
あの男さえ邪魔しなければ健康な身体にまた一歩近づいたと言うのに。
少年は、ベッドに横になったままカーテンの隙間から覗く夜空を見る。
少年は、夜に外に出たことがなかった。
身体に触るからと両親に出るのを禁止されているから。
だからと言って昼に好きに出ていい訳でもない。
健康な身体にさえなれば・・・。
少年は、両手を見る。
遊びの神様からの託宣は、まだない。
病院という死が最も身近な場所なら幾らでも物語を書けると思ったのに・・・。
少年は、悔しげに唇を噛む。
託宣を待たずに霊安室にでも忍び込んで適当な私を書き刻んでやろうか、と思った時・・・。
託宣は、舞い降りた。
荒ンデオルナ
その声は、酷く楽しげで、酷く可笑げに、酷く蔑んでいるようであった。
しかし、少年は、そんな事に気を止める余裕すらないままに声が聞こえた事を喜んだ。
「神様!」
あまりの嬉しさに涙が出る。
それ程までに少年は、自分を救ってくれるであろう"遊びの神"を心酔していた。
退屈してオルカ?
遊ビタイカ?
それは少年に初めて掛けられた言葉。
神の啓示であった。
「はいっ」
ナラバ共ニ楽シモウ。
少年の頭に神の言葉と映像が流れる。
少年の涙に濡れた目が大きく見開く。
遊びの神は、愉快に、そして残酷に笑う。
サア、楽シモウ。
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