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ドレミファ・トランプ 第一話 四月八日(4)
それから大愛は両親、訪問医、理学療法士と共に社会復帰する為の目標を立てた。
一つは身の回りの最低限を自分で行えるようにすること。
一つは一年以内に必要な生活技術を身につけて中学校に通えるようになること。
そして最終的には高校、大学と進学し、自分自身の力で自立した生活を送れるようになることだ。
最初の二つに関しては両親は納得し、とても喜んだ。
しかし、最後の一つに関してはそこまで無理しなくていい。自分たちが大愛を支えていくと否定した。しかし大愛は、「私は一人の人間として自分の力で生きたい」とはっきりと告げ、訪問医と理学療法士も"彼女の言葉は正しい""彼女が望む生活を送れるよう私たちも全力で取り組みます"と後押しをしてくれた。
それからの治療とリハビリは壮絶を極めた。
医師による診察、筋力低下、体調管理の為の指示、指導、それを実現する為に理学療法士が考案したプログラムははっきり言ってピアノの練習以上に酷だった。ショパンのEランクの曲を一週間で完璧に弾けるようになれと言われる方がよっぽど楽なように感じた。
身体で最も活用される部位を失ったのだ。それを補うのは容易なことであるはずがない。特に大愛は事故にあってから二ヶ月まともに動いてなければ食事も摂らず、筋力だって低学年の方があるのではないかと思うほどに低下していた。それを取り戻すだけでも容易ではないのに理学療法士が求めたのはそれ以上の筋力と体幹、そして動きの構築だ。特に大愛は理学療法士にある一つの注文を付けていた。
足を腕のように使えるようになりたい。
あの日、感じた両足の可能性。
きっと自分の足は腕のように使えるようになるはず。
そう思って理学療法士に頼んだ。
理学療法士は渋面した。
足を腕のように使う。
誰もが思いつくが実際にうまくいった事例なんてほとんどない。関節の数は同じ、指の数も同じ。しかし、本来は役割の違う足を腕のように使えるようになるのは困難の中の困難。それこそどっかの雑技団にでも入って訓練を受けた方が良いレベルだ。そんな事に時間を費やすなら義手を作って操作の方法を覚えた方が遥かに良いと諭すも大愛は拒否する。
「私は足で全てを掴むの!」
大愛の揺るぎない意思に理学療法士は根負けし、様々な文献を調べて彼女に相応しい計画を立て、実践した。
まさに血を吐くような計画であり、訓練だった。もはや特訓と言っても過言ではないかもしれない。
しかし、大愛は弱音なんて一欠片も吐くことなく続けた。
身体は体操選手のように柔らかくなり、体幹も同じ年齢の子の平均を超えた。
そして訓練を行い半年が過ぎた頃、彼女の両足はあり得ない奇跡を起こした。
両足の指で物を掴み、身体を洗い、トイレを済ませ、箸こそ持てないがフォークとスプーンを使って自分で食べられるようになった。
ピアノを弾けるようにはならなかった。
初めて足で触れた時のように指先で叩いて簡単な曲なら演奏できたが両腕のように弾くには指の長さが足りず、可動域も足りなかった。
身体能力ではなく、機能の限界だった。
それでも一連の生活動作を誰の手も借りず、足だけで行えるようになったことに大愛は泣いた。
ようやく……ようやく人間に戻れたと泣いた。
両親も歓喜に泣き、彼女を支えてきた訪問医と理学療法士も感激に涙した。
しかし、それだけでは終わらない。
あくまで日常生活動作がクリアしただけ。足りない物は溢れるくらいある。
それに学校復帰するには勉強だってしなければならない。両親は学校に大愛の状況を説明し、自宅でも出来るプログラムを組んでもらい、リハビリと併用して行った。
リハビリをしながらの勉強は言うまでもなく大変だったが元々勉強が苦手でない大愛は着実にこなしていき、訪問医が診療に来た時はボランティアと称して診療時間外に特別に勉強を見て、教えてくれた。
おかげで勉強の遅れはほとんどなく、むしろ平均の中学生よりも多い知識を身につけた。
そして治療とリハビリ、そして勉強をこなし続けた中学二年生を迎えた春、大愛は中学校に通えるようになった。
両親は涙した。
訪問医と理学療法士も笑顔で喜んだ。
そして四月八日。
神山大愛は、一年遅れて中学校に入学することが出来た。
「待っててね。ルビーちゃん」