平坂のカフェ 第4部 冬は雪(24)
「そろそろ答えをくれませんか?」
車を止めて彼は私の方を見る。
私は、窓の外を見るといつも間にか夜になっていた。
桜の木が生える丘を出発してからの事をあまり覚えていない。
彼から"あの言葉"を聞いてからずっとそれだけが耳の、いや心の奥底で木霊して、視覚も嗅覚も閉ざされていた。
ここはどこだろう?と見渡すと個展会場とコンビニの間の通り道であることが分かった。
「答え・・?」
「さっき、俺が言ったことの答えですよ・・」
「あっ・・・」
私は、思わず声出してしまう。
すると彼は珍しく苛立った顔をした。
「ひょっとして・・・忘れてたんですか?」
「・・・」
忘れてない・・・。忘れるはずがない・・。
でも・・・。
「車・・・降りていいかな?」
「?・・ええっ」
私は、彼の許可を得て車を降りた。
生温い風が頬を擽る。
ずっと座りっぱなしだったからか少し心地良い。
丘の上と違ってこっちは月が見えない。
立ち並ぶマンションや家や街灯がこちらを見下ろしてくる。
「先輩・・・」
彼は、いつも間にか私の前に立っていた。
赤みがかったその目はとても力強くて、真摯で、焦っていた。
今だに答えを言うことの出来ない私に焦り、苛立っていた。
私は、両手を組んでぎゅっと握る。
「ごめん・・・わからない・・」
私は、あの時と同じ台詞を言う。
この場から逃げたい。
走り去りたいと言う気持ちが胸を突く。
しかし、彼はそれを許さなかった。
「それは無しだ!」
彼は、喉の奥から絞り出すように言う。
その強い言葉に背筋が震える。
彼は、両手を大きく広げ、私の身体を抱きしめる。
あの丘の時のように。
絶対に離さないと誓うかのように。
「隠さないでください。先輩の本当の気持ちを教えて」
「本当の・・・気持ち?」
そんなものは決まってる。
でも、口に出せない。
出したら・・・消えてしまう。
恐怖が私を襲う。
それを察したかのように彼の腕の力が強まる。
「オレはいなくならない!絶対に貴方の側にいる。もう離したくない」
彼は、私の顔を見る。
赤みがかった目が太陽のような私を映す。
「好きだ。始めてあった時からずっと・・・」
唇が震える。
左目から溢れた涙が頬を伝って唇に流れてくる。
彼の温もりが、言葉が、目が真実であると伝えてくる。
私も・・・私だって・・・。
「好き」
私の唇が言葉を紡ぐ。
彼の表情が歓喜に震える。
そして彼の唇が震える私の唇と重なった。
何が起きたのか分からなかった。
しかし、脳が心がそれを理解する前に私は彼の首に手を回し、抱きついた。
ずっとずっと外れていた、抜けていた何かが埋まっていくのを感じる。
温かい・・・温かい・・。
その夜、私達は結ばれた。
破瓜の痛みは、最初は苦痛であったがすぐに喜びへと変わる。
彼は、変わることのない優しい目で私を見た。
唇が何度も何度も重なり、外れる度に私は彼の名を呼ぶ。
「先輩・・・」
私は、彼の頬に手を添える。
「いや・・・名前で呼んで・・・」
彼は、頬に乗せた私の手に自分の手を重ねる。
ゆっくりと目を閉じ、開く。
赤みがかった目が優しく揺れる。
「カナ」
私は、この時の痛みを、この時の思いを決して忘れない。