私達の世界は仮想現実である
私たちが現実だと思っているこの世界は、実は洞窟の中で炎に照らし出された影絵のようなものです。
上の図はプラトンの「洞窟の比喩」です。
手足や首を拘束されて身動きできず、ただ洞窟の壁に映し出された影絵を現実だと思って見ている囚人、これが私達です。
洞窟の外には本当の世界があるのですが、その事には気が付きません。目の前の影絵が本当の世界だと信じているからです。
光が眼球から入り網膜細胞が刺激されて電気信号が発生しそれが脳に伝わり、脳の中で映像として映し出される、この構造はまさに洞窟の影絵そのものです。
たっだこれだけの説明で十分です。私達が現実だと思っているこの3次元世界はただの影絵で仮想現実なのです。
財産、地位、名誉、仕事、生きがい、他人、自我、時間、空間、これら全部影絵です。私達は本当の世界を全然見ていません。洞窟の中で影絵を見て、悩み、争い、苦しみもがいています。
洞窟から抜け出して本当の世界を見る方法は、脳で映像を映し出すのをやめること、すなわち思考するのを止めることです。だから座禅や瞑想をするときには心を無にするように言われるのです。それが唯一、洞窟から抜け出す方法だからです。
しかし人間は生きている限り脳を完全に止めることはできません。脳を止めなくてもいいのです。これはただの影絵であると自覚して、それと自分を同一視せず客観的に見ることです。
影絵なんだから全部放棄して滅茶苦茶にしまおうということではありません。
影絵のせいで妄想したり悩んだり苦しんだり執着したり争ったりするのをやめるということです。
人間は生きている限り必ず脳で周りを知覚します。そうする限りは洞窟からは絶対に出られないのです。あれこれ理屈で考えて妄想したり執着しても無意味です。
山の草木はこうなりたいとか、誰かに認められたいとか、生きる意味は何だろうとか、自分は悟ったなどとは一切言いません。今一瞬をただ生きて時が来ればただ黙って去っていきます。こういう自然の生き方がお手本です。