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都市伝説からの「月面にアームストロングの足跡は存在しない」

<SF(155歩目)>
プロって、プロなのですが、大きなプロジェクトの構成員は自分自身の専門分野での力を最大に発揮させるために、やはり普通以上の努力をしていると思う。プロは感情的にはならないと思うが、どうなのでしょう。

月面にアームストロングの足跡は存在しない
穂波 了 (著)
早川書房

「155歩目」は「月の落とし子」の穂波了さんの「月」シリーズの意欲的な作品。面白い作品です。

「月の落とし子 早川書房」以来、久しぶりの穂波了さんの作品。
前回も、圧倒的な出だしの緊張感は今回も素晴らしい。

ただ、宇宙飛行士に限らず「プロ」がこの様な行動をとるのだろうか?については、今回も疑問に思うことあり。(前回は、科学者というプロの行動についてのモヤモヤあった)

たしかに、今回は宇宙飛行士のプロではなく、「広報のプロだから」という注釈あるも、いかに「広報」だからと言っても、大きなプロジェクトにかかわるプロは自分の専門分野で最大の成果を出すためにも、必要最低限の能力開発は「行うはず」とプロとしての生き方をしてきて感じた。

つまり、読者の「感情」を突く際に、大きなプロジェクトにかかわる設定の場合は過度に「感情」的にさせると、せっかくのすごく掘り込んでいるプロットとかが損なわれる気がしました。

※登山で言うと、引率者ありの観光登山での遭難の話に近い。同じ登山でも、エベレストの募集登山は参加者に感情に流されるところがあれば、それはアタリマエですが、参加者の「死」を意味する。

宇宙でも、「遊覧飛行」の乗客でない設定ならば、「広報担当者という宇宙飛行の素人ならばあるでしょう!」が、作品のリアルさを減じる気がします。

折角の月にかかわる掘り込みに対して、人間描写がモッタイナイ。
研ぎ澄ました月にかかわる描写を、プロ足らんとする登場人物に展開させた方がよりリアルだと思います。

一つのプロジェクトに参加した者は、至らぬ自分を恥じるとこがスタート地点だと思う。ここから、エンターテインメント寄りにしてもいいが、参加者が至らないことがアタリマエになると。。。

とは言え、次作もまたまた読み進めると思っています。

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