
名刺代わりの小説10選
中高大と電車通学だったのと、あまり勉強というものをしなかったので、暇さえあれば小説を読んでいた。
そういうわけで、わたしを形づくる「名刺代わりの小説10選」、やはりというか、学生時代までに出会った本ばかりになった。
なお選出にあたっては、著者の重複を避けるよう心がけています。苦渋。
1.荻原規子『薄紅天女』(〈勾玉三部作〉)
「おぬしもこれから苦労するな。どうしてわざわざ好きこのんで、こんな人のもとに学びに来たのだ。顔の綺麗さで人を選んではならないことを、人生の早くに学ぶためかね」
和製ファンタジーの筆頭格、いわゆる勾玉三部作の3作目となる、滅びゆく長岡京で皇女と坂東からきた若者の運命が交差する物語。
神代の昔からを描いてきた三部作も最終作となり、神話の色は薄れて、歴史上の人物も多数登場する。
ハリー・ポッターが大好きで、有名なファンタジー、ということで手に取った小学生時代。
この作品に出会ったことが、日本史、とりわけ古代〜中世史にのめり込むきっかけになったんだと思う。
藤原薬子というひとに惹かれつづけているのも、『薄紅天女』あってこそ。
2.妹尾ゆふ子『翼の帰る処』(〈翼の帰る処〉シリーズ)
「つまり……歴史を残していくのは、勝者の仕事です。どうしても自分たちに有利に書き残したくなる。ですが、そこを堪えて公平に事実を書き残すのが、史官の本来あるべき姿だと思うのです」
主人公は帝国の史官。左遷先の辺境でのんびり隠居生活を送るはずが、突然赴任してきた皇女の副官に抜擢されて……という、キャッチーな出だしですが。
読み進めてみると、帝国やその周囲の土地の歴史、神々の恩寵、人々の思惑や政治劇が絡み合う、どっしりと重厚なファンタジー。
キャラクターもみな魅力的で、ボリュームがあるのにどんどん読めてしまう、強大な引力のある大作。
3.米澤穂信『遠まわりする雛』(〈古典部〉シリーズ)
打てば響くように、返事があった。
「聞いています」
そっけない、というのとも違う。およそ感じたことのない温度の低さ……。俺の頭の中で、千反田はいつしか、扇を口元に当てている。片腕を脇息にもたれ掛からせ、あくびを噛み殺しながら聞いている。
「氷菓」としてアニメ化もされた、「日常の謎」を題材とした青春ミステリ〈古典部〉シリーズの4作目となる短編集。
主人公とヒロインが出会ってから1年間の季節の移ろいの中で、いろいろなことが揺れまどい、変わっていくさまーー特に「遠まわりする雛」での、劇的な彩りの変化が印象的。
米澤穂信作品特有の、ほの暗い静謐さが大好きです。
4.恩田陸『まひるの月を追いかけて』
彼女に続いて立ち上がり、歩き出そうとすると、彼女は一瞬足を止め、こちらを振り返るともなく呟いた。
「ーーお水取りには間に合わないわね」
姿を消した異母兄の足どりを追って、その恋人を名乗る女性と巡る、奈良の旅。
奈良、好きなんです。
古代の道を辿るうちに、自身の、あるいは隣にいたはずの人の輪郭がゆらぎ、生も死もすべてが曖昧になるような、どこか奇妙な空気感をはらんでストーリーは進む。
男を取り巻く女たちの弱さ、強さ、醜さ、美しさが混然となって迎える終幕は圧巻。
5.桜庭一樹『ファミリーポートレイト』
「あたしの放浪は、是枝の夢なんだね」
「なに」
「だからけしかけるんだ。ほんとうは是枝が放浪したいんだよ。夜を、どこまでも。荒野、遥かに走っていきたいんだ。少年のころの夢そのままに。どこまでも、どこまでも。この世の果てまで。みんなそうなんだよ。だけどできない。……あたしがいつか野垂れ死ぬまで、ちゃんと見ててね。お父さんの代わりに。約束! 最後まで見てて」
「……早く行けよ。おれは帰る。おれは家に帰るんだ」
「うん。では、あたしは荒野に」
母と子。わたしのかみさま。
晩年を迎えた世界をさまよう、大きな子どもたち。
書くこと。読まれること。
なんどもなんども読み返してきた、いっとう特別な物語。
この作品に出会えて、本当によかった。
6.津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー‼︎』
「がんばるよ」
どうしてそんな雑なことしか言えないのだろうと思う。頭が悪いことは、考えをまとめる能力がないことは罪だと思う。
「がんばるのはそれはがんばってよ。あたしは心配やから」チユキは笑いながら、しばらくテーブルの上に投げ出されたままのアザミの手の甲を叩いた。「それでこのことで、あんまり呆れんといてくれたらうれしい。今までどおりでおって」
関西の高校で、ぼけっと青春時代を過ごしていた自分が、とてつもない共感をいだきながら読んだ作品。
津村記久子氏が登壇される会に参加できることになって、学校の食堂で夕方まで時間をつぶしてからぶらぶら梅田に向かったことを思い出す。
ときに脅威や困難にさらされても、いっそう強まる女の子たちのシスターフッドとしなやかさが眩しい(でも、そんな脅威や困難を、あなたたちが受ける必要などこれっぽっちもないはずなのだ、と今、大人になったわたしは考える)。
7.千早茜『桜の首飾り』
桜は冷たくわたしに微笑んでいた。永遠に衰えることのない清らかな少女のように見えた。
桜をテーマにした短編集。
わかくして亡くなった前妻の身代わりとされていたことに気づいた妻が、夫への復讐の果てに救いを見いだす「エリクシール」、冴えない中年男性のもとに現れ、気まぐれに姿を消した「ゆきちゃん」は、いったいどんな女だったのか? 切ないようであたたかな余韻が残る「花荒れ」が、特に好き。
8.森見登美彦『有頂天家族』
「お月様が欲しいな!」
ふいに彼女は夜空の月に向かって叫んだ。「ほら、取ってきてごらん、矢三郎」
アニメ化、舞台化などの多彩なメディアミックスでも知られる、大人気作品の第1作。
名門たる一族の因果、偉大な父と子、師弟の愛憎、同じ女性を愛した兄弟、激しい相剋に血で血を洗う抗争……と、少々えげつないまでにドラマティックな内容が、登場人物の大半が狸と天狗になった途端にあっけらかんとユーモラスになるの、本当にすごい。
なんてったってファム・ファタール弁天様が大好きです。
9.森谷明子『葛野盛衰記』
「もう、昔の都ではございません。あまりに血が流れすぎました。でも……、でも、都をあのようにしてしまった方々には、もう、いずこなりへと去っていただきたいものです」
「負けたのだ、われらは。都に負けたのだ」
長岡京が興り、滅び。
平氏が興り、また滅び。
すべてを絡めとって、平安京は栄え続ける。
覇王も、覇者も、大天狗も、平安京という魔都の不気味なうごめきの前では、大渦に呑み込まれるひとりの人間でしかないのだ、という無力感。
古代史・中世史や、王朝もの、宮廷ものが好き、というかたにはぜひおすすめの1冊。
森谷明子作のクロニクルといえば、連作短編集『七姫幻想』も、しっとりとしたおそろしさと無常感が作中全体を包んでいて、とても好み。
10.永井路子『炎環』
「そういうひとなのさ、四郎と言うひとは……目の色を変えて探しても、その場にいたためしはないんだ」
永井路子氏の著作からの1冊、藤原冬嗣が主人公の『王朝序曲』と迷いに迷って、こちらを。
鎌倉幕府草創期の権力闘争を描く連作短編集。
この時代といえば、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で思いがけずスポットライトを浴びて、驚いたのもまだまだ記憶に新しいですが……。
みなが登りつめようと足掻き、もがく中で、終始静かに傍観しているように見えた四郎義時というひと。
物語も佳境となる承久の乱出陣前夜、衰退する朝廷を冷徹にみつめてきた宿老たちの声が重なり、わかき次代のリーダーがそれに応えるのを見届けた上で、四郎義時が発する言葉の重みに、背筋がぞわりとする。
おわりに
趣味の都合上、古都成分が多めになったかも。
ここで挙げられなかった小説のことも、語る機会がありましたら、また。