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33歳の私がもう一度大学受験をする話
メンタル的な体力の振れ幅もおさまりつつあったので図書館に通い始めた頃。
金にモノを言わせた海外旅行をした(高くて良いから安全安心な方法をとった)ので貯金が半分も減っていたから、そろそろ復職をするべきじゃないかな〜と思いながら書架を歩いていた時に目についた本だった。
私のやりたいことってなんだろう。
好きなことはたくさんある。でもそれは全部趣味の範囲内。
プロとしてお金がもらえることなんて特にない。
経理・税務の仕事だけは10年ほどやってきたので、同業系なら復職もスムーズかもしれない。でも、たぶん5年後、10年後、私はまた行き先というか仕事をする意味みたいなものを見失う気がした。
「未完の行為」
本書の中でこの言葉を見つけた時にハッとした。
大学受験に失敗した私には、諦めた夢が1つあった。
滑り止めで受かった大学になんとなく行き、本命の最終面接直前に合格が決まった別にやりたいわけでもない仕事の会社に就職した。本命に落ちるのが怖かったから。
大学はたくさんの良い経験をさせてもらえるところだったから感謝しかないし、職場についても税金や経理基礎知識について勉強できたので無駄になったとは思っていない。
でもやっぱり、あの時諦めた夢が頭の片隅で未だに燻っていたのだ。
せっかく仕事も辞めてまっさらな状態になっている今、もう一度それに挑戦してみても良いんじゃないか。例え上手くいかないとしても。
少し前に西洋占星術のセッションを受けた話を書いているが、私はこのセッションで大いに背中を押してもらった。
「去年は、自分にとって不要なものを捨てる年。今年は、自分の“楽しい”を探す年。」
占いに100%自分の選択を委ねるのは危険だが、背中を押してもらいたい時などは大いに活用すべきだと思う。上記の言葉で私はやりたかったことをやり直すという選択への罪悪感が減った。
「やっぱり大学やりなおそ」
その後も多少の悩みはあったものの、目星をつけいていた大学への資料請求がギリギリ間に合った。面談、受験対策などを経ていよいよ明日、受験を迎える。
敷かれたレール、乗りやすそうなレールに乗って生きてきた私が、三十路を過ぎてグレてしまったなぁなんて某キャラクターみたいなことを思ってしまう。某氏みたいに天才でもないし努力もしてないけど。
準備期間も短かったし勢いに身を任せたトコロが大きいから不安はある。
でもきっと後悔はしない。
アイキャッチの写真はグラストンベリートアを、道を逸れて裸足で歩く紳士。
彼みたいに強く、自分の意思で選択した道を歩いていきたい。