共感疲労と自分への戒め
年明けから暗いニュースが続いている。
能登半島の地震や羽田空港の衝突事故、
そして先日の世界仰天ニュースで放映された
「京王線刺傷事件」と「赤城ファイル」
の再現映像で私は心の許容量がいっぱいになったのを感じた。
※番組自体は非常に良いものだったと補足しておく。
共感疲労とは、他人への共感が心理的な疲労を引き起こすことのことを言うらしく、私は、ここ最近頭の中で思考がぐるぐると渦を巻き、どこか心が晴れない日々が続いている。
症状を和らげる一つの方法として、そういった悲惨な情報から距離をとることが有効らしく、メンタルを整える本の多くがデジタルデトックスを推奨するのも頷ける。
私がどん底にいた時、
私は自分がどれだけ不幸な人間なのかを多くの人に語った。
ほとんどの人が私の話に同情し、私を支えてくれた。
しかし、その中に私のように感受性の強い人がいれば、
きっと大きなストレスを与えていたと今思う。
それから私は、文字に書き出したり、心理カウンセラーの方や電話相談などを利用しつつ、それでも時には友達を頼りながら今に至っている。
我慢をしてはいけない、
しかし、吐き出す場所を間違えれば自身が加害者になりかねないこと、親身になって支えてくれる大事な友人を被害者にしてしまうことになりかねないことを今ここに自戒の意味も込めて記す。
ここは、私の心を吐き出す場所、
しかし、この記事は公開しており、
読んでいただいた方の心にも傷がついてしまったかもしれません。
デジタルデトックスをしたり、コーヒーを飲んだり、お笑いなどポジティブなものを見てもらえればと思います。
それでも同じように悩んでいる境遇の方に少しでも届けば幸いです。
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