私なりの優しさの定義
優しさってときには傲慢。
優しさってなんだろう。
最近考えています。
果たして私がこれまで言ってきた、言われてきた優しいは本当に優しさなのか。
相手に逆に気を使わせてたのではないか。それって傲慢で脅迫、、?
大袈裟だけれど一つの脅迫でもあると思う。
あの子がやっていたからやらないと。私も気を遣おう。
あぁ私の中に多くあるこの気持ち。
それって私から出た優しさじゃない。
私はみんなが側から見て分かる優しさしか持ち合わせてないと思う。誰かがこう思うから、見てるからやらないと。
でもそれって自己満で認めてもらいたいからくる優しさで。優しさっていいのかも分からない。
でもその優しさにも労力はいるわけで。裏を返せば誰かのために動けるってことでもあると思っていて。
優しさって何?
私から出た優しさの裏には誰かはよく思っていないかもしれない。そうなるとそれは優しさではないのか?なんて思ったりもしたり。
みんなが納得できる社会なんて絶対来ないけれど、私から出た優しさに誰かが寄り添ってくれて、私も誰かに寄り添って、優しい世界、気持ちが良い世界になればいいなって。
そんな大きいものではなくて、
少なくとも少し先の、明日とか、何時間後とか
あぁこの子といると優しい気持ちになれるなとか。
心が温まるなとか。
そう言う少し先の未来が明るいものになりますように。
結局優しさって何かわからないけれど、分からなくていいのかな。
その人にしてあげたい、幸せになってほしいって思って自然に出た言動が良くても悪くてもそれを優しさと呼ぶことにします。
そう思える人たちが私の周りにはたくさんいるので私の優しさでどうか少し先の未来が明るくなりますように。