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【知られざるアーティストの記憶】第94話 コロナ療養中に深まった夫婦の絆と、O病院からの連絡
Illustration by 宮﨑英麻
*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*
第13章 弟の死
第94話 コロナ療養中に深まった夫婦の絆と、O病院からの連絡
(前略)
両方は得られなかった。甘すぎるよね。
だからこれが「ほんとうに」望んだ道なのかもだけど、今はただ痛みに悲鳴をあげている。
やがてここから立ち上がって、
「やっぱりイクミさんが好き」
って言えるのだろうか私は。
(中略)
だけどね、夫にめいっぱい甘えた状態での「イクミさんが好き」は、本物ではないんだよね。子どもと同じなんだよね。一段成長するときなんだね。
ツインレイの学びって、自分が自立することにもなるんだっていうからね。
その覚悟を女性側ができてから動くとも感じるよね。
2022年2月21日、マリはようやく熱が治まるとともに、市内や近隣の公団を調べて、希望に合う物件に片っ端から応募した。夫との話し合いで、子どもたち、特に次男と三男にはやはりまだ母親が必要であるとの結論に至った。マリ一人であれば彼の家に入ることができるけれど、子どもたちも一緒に彼と暮らすことには無理があると考えたのだ。
≪2DKで超狭いけど、ハヤテの保育園の団地があったよ。≫
などと無邪気に伝えるマリに夫は、
≪さっそくやるねえ!≫
と、その行動の素早さに驚いたような反応を見せた。
マリが動けるようになったのと入れ代わるように、夫は熱を出して寝込んだ。マリとは違って発熱中は食べ物を受け付けない質の夫は、家族の一番最後に威力を最大化して回ってきた怪物を一手に引き受けて、黙ってじっと眠り続けた。ニラ味噌雑炊の恩返しをする機会が得られなかったマリは、代わりに家族のために奔走した。
≪何度も何度も苦しませてごめん!本当に別れたくないんだ!大切な家族を失いたくない夫であり父親です。大好きです。おやすみなさい。≫
苦しい寝床の夫から、階下にいるマリにLINEのメッセージが届いた。
≪ありがとう、おとう。こちらこそ、ごめんなさい。家族が大切なのは私も同じだよ。なのに、決められなくて、ごめんなさい。おやすみ、おとう≫
≪やっぱり寝られない。家族のこと、俺のことに、正面からマリ自身に向き合って問いかけてください。辛いのは承知しています。楽しく笑い合える家族になれると信じています。≫
マリは夫が求めるままに、その熱き唇と体を受け入れた。
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夫婦はその後も話し合いを続けた。本来ならば夫がマリに慰謝料を請求できる立場であったが、
「俺はそんなことをするタイプじゃないよ。」
と言うばかりか、
「学歴のあるマリを家に押し込めて、社会に出る機会を奪ってきた俺にも責任があるから。」
と、最終的に離婚に至った場合も、養育費などで経済的に支える意思を示した。
「きちっとワダさんと別れて、俺だけを見てほしい。離婚はしたくない。だけど、マリが本気で好きになったのなら、俺ときっぱり別れてそっちへ行く決断を腹くくってしてほしい。俺にとっては最悪の答えだけど、それならそれで応援するから。」
マリは夫から突き付けられた究極の二者択一に、すぐには答えを出せなかった。
また別の晩には、マリはずっと嫌いだった夫の性質に対し、長年溜め込んできた感情をとめどなく吐き出し、一気に離婚への気運が高まった。結局、夫の寝込んでいる間に二転三転四転五転までした離婚の話し合いは、
「お互いにかけがえのない大切な存在で、離れられない。心からの願いとして、別れたくない、一緒にいたい。」
という一致する気持ちに終着を見た。
「ワダさんを好きかどうかは関係ない。最後には俺だけを見てくれるようになるようがんばる。でもそうでなくても、それは俺の至らない面だと思うからそれはそれでかまわない。もうこれからは二度とぶれないよ。」
この言葉を聞いて、マリは夫のことを最高の夫だと感じた。
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「S医院に電話して、濃厚接触者になったことを相談したら、検査を受けてくれって言われたよ。やっぱり、感染するとまずい人ばかり来てるから、そこはナーバスみたいだ。それで、検査って、どうやって受ければいいの?」
電話越しに彼が訊くので、マリは自治体から取り寄せて1本使い残していた抗原検査キットを、夫に断って彼のポストに届けた。彼は発熱直前のマリと接触してから、無症状のまま健康観察期間(註1)を終えていた。検査の結果も見事陰性であった。マリは彼のこの免疫力の高さを、S医院の治療の成果ではないかと考えた。
(註1)最終接触日を0日として、7日目まで。その期間を無症状で追えれば外出をしてもかまわないとされた。
2月25日の5度目の受診から、彼が電車とバスを乗り継いでの通院が始まった。S医院は同じ市内でも離れた場所にあり、マリの送迎に頼り切っているように見えていた彼は、必要に迫られれば難なく淡々と、しかもマリが送るよりもかなり早い時間帯での通院をこなした。彼の単独通院は3月の中旬頃まで続いた。
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彼の弟のマサちゃんが入院し、療養とリハビリを続けるO病院から彼に連絡があったのは、ちょうどマリと夫の発熱が入れ替わり、彼がまだ抗原検査を受ける前というタイミングであった。連絡の内容は、マサちゃんが誤嚥性肺炎を起こし、容態があまり良くないので、いつでも面会に来てください、というものであった。彼はコロナの濃厚接触者になってしまったから、面会には行かれないと断った。
「いつでも面会に来いと言うことは、いつ亡くなってもおかしくないということだと思う。」
そう言いながら彼はなかなか弟の面会に行こうとはしなかった。「親族のみ数名まで」が許可されていた面会に、ノリオさんはマリも呼ぼうと言った。ところが彼は、
「でも、彼女には家族が居るから。」
と断ったという。
これまでマサちゃんの病院には何度も一緒に行っていたので、彼がマリを面会に連れて行かない判断をしたのは寂しいことであった。しかし、そのときマリの家族はコロナで自宅待機中であった。加えて、先日のロミオとジュリエット事件以来、夫婦関係がガタガタしていることを、ほとんど彼には話さずとも、彼はどこかで感じ取っていたのではないか。どちらにせよ、それは英断であると思われた。
★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。
☆編集後記☆
この頃のメイとのLINE、夫とのLINEを参考に、思い出しながらの記述となります。そのため、日付などもわかるのです。物語にとっては、日付なんて何の意味も持たないのですが、ここはノンフィクションですので、可能な範囲で記録を残そうと思います。
犬も食わない夫婦の離婚話の詳細は、彼にも余り関係がないので、筆者自身も「無駄な記述かなぁ」と悩みましたが、主だったやり取りは夫婦の記録として残すことにしました。お見苦しいですがご容赦ください。