自分でも答えがわからないのに
自分のことを質問されるのがとても苦手だ。
初対面の人と会う場では、自分のことを聞かれないように相手にたくさん質問して、聞かれるスキをできるだけ与えたくない。よく喋るので第一印象はコミュ力が高く見られる。防御率を上げるためのハリボテのコミュニケーション能力。
自分が質問される立場になると、回答の正解を予想しながら、相手が期待していることやその場に合った内容を答えてしまう。相手や場の雰囲気によって微妙にニュアンスを変えながら、こういう答えだと会話が弾むかな?と考えて。
自分について聞かれているんだから、相手が正解をもっていることなんてない。けど、自分のことを答えるとなると自信がなくなって、理想っぽい自分が答えそうなそれっぽいことが口からでてくる。
休職することになって、コミュニケーションを取る相手がかなり限定された。心療内科の先生か、母親か、自分自身か。
医師と患者だと、必然的に自分が質問される立場になる。
どちらかというと過保護な母親は、心配がゆえに今後のことをどうしても聞いてくる。
それ以外の時間は、自分の中でいろんな考えを巡らしているから、自分の中で自問自答。
今まで、薄っぺらくてそれっぽい答えを続けているからなのか、頭の中でいろんな答えの選択肢を用意していたせいなのか、本当の自分の気持や考えが不透明になって苦しくなることが増えた。
「眠れてますか?」という質問には、「薬を飲めば眠れます」と答えれる。
「良くなっている感じはありますか?」
「気分や気持ちはどうですか?」
「体調はどう?」
「仕事はこの先どうするの?」
「なにかやりたいことはないの?」
「何も考えずに自分の好きなことに挑戦してみたら?」
口が思うように動かなくて、そんなこと聞かないでって突き放したくなり、答えられない自分が情けなくて泣きたくなる。
良くなってる気もするし、進展してない気もする。
最悪な気分で早く殺してくれって思う日もあるし、死んでも迷惑かけるから生きようって思う日もある。
なんて答えればいいのか教えてほしい。
自分でもわからないんだから。
やりたいこと、すきなことで生きていけるほど希望に溢れた世界じゃないこともわかっている。
そういう人生を歩めている一握りの人たちだって努力と忍耐を人並み以上にしていて、何もしてない私が羨むことすら恥ずかしい。
みんなやりたくないことをやりつつ、上手く息抜きしてストレスを解消しながら生きているのに、どうして躓いてしまったんだろう。
躓いたことさえ糧にして上手に生きていける人たちもいるのに、どうしてこんなに立ち上がるのに時間がかかるんだろう。
こうやって黒くてどろどろした思考に陥って、ひたすら自分と向き合って、自分でもわからないことに埋もれている人だってきっと世の中にはたくさんいると、みえない誰かに心を寄せて。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
おやすみなさい。