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経営学グッドフェローズ②:経営倫理研究をひっくり返す


専修大学経営学部
間嶋崇教授

1. 積極的に社会に関わる研究としての経営倫理研究 

 経営学において、経営倫理研究は積極的に経営の現場に関与していく学問領域です。
 ただし、「儲けられる経営者」になるためにはこうすればよいですよ、という形で関与しているわけではない、経営学では非常に珍しい研究領域を形成しています。応用哲学や倫理学の立場から、経営者が目指すべき社会規範を議論し、その規範を守るために必要な組織づくりや、研修内容を提案していく。主な研究対象も、企業不祥事や公害問題の発生、最近だとブラック企業など、企業の持つ負の側面を中心にとりあげていく。

 ただ、経営倫理研究は、企業が社会にマイナスの影響を与える、悪の巣窟であることを証明することを目指す研究領域ではないことには、注意が必要です。企業が社会に対して負の影響ばかり与えるのであれば、企業の存在そのものが社会的に認められないものになる。経営者が企業を維持していくためには、社会的に存在意義が認められる、正しさを持たなければならない。

 経営倫理研究は、企業が目指すべき社会規範を提示し、それを実現するツールを提供していくことで、経営者をサポートしていく研究であるといえます。その意味では「儲けられる経営者」を目指すためには、学ぶことが必須の経営理論であるといえるかもしれません。
 
 ところが、2010年代に、その経営倫理研究のあり方を根本から問い直そうとする、イケてる経営学者が登場しました。それが、間嶋崇先生です。

2. 経営倫理研究をひっくり返す
 経営グッドフェローズ①で紹介させていただいた神戸大学の服部先生と比べて、間嶋先生の一般的な知名度は劣るかもしれません。それ誰?という方も多いでしょう。しかし、経営倫理研究という研究領域において、間嶋先生の研究は無視することが出来ない存在感を発揮しつつあります。なぜなら、規範とツールを作ることは、経営倫理の研究者だけの仕事ではない、ということを指摘したからです。

 間嶋先生は組織文化論を専門として研究をスタートし、いかに従業員の法令違反や社会倫理からの逸脱を肯定し、促してしまうような企業がどのような組織文化を有しているのかという視点から『組織不祥事:組織文化論による分析』を発表し、2008年に経営学史学会著作部門奨励賞を受賞しました。この時点で、非常に優れた研究者であることは間違い有りません。


 ただ、この著書の発表までは、企業の倫理的な経営を手助けするための、ツールを開発するという伝統的な経営倫理研究のありかたの延長線上にある研究活動であったと思います。


 しかし間嶋先生は、ここから大きく、しかし大変意味のある転換を目指します。

 経営倫理は、経営者(企業)が生み出すストーリーである。

 それが、間嶋先生が2010年以後に論文から発するメッセージです。

 京都議定書という、企業の息の根を止めかねない規制に対して、経営者達はCSVやソーシャル・イノベーションを掲げて、社会問題の解決そのものを市場化していく活動へと昇華していきました。ハイブリッド自動車、フェアトレードコーヒー、エコマークブランドなどが代表的です。

 このような活動を、「経営者をいかに倫理的に正しい存在へと導いていくのか」という従来の経営倫理研究の視点からは、説明ができない! 経営者も研究者と同等に、倫理を語り、実践していく存在であることを受け入れた、新たな経営倫理研究を構築していかねば、軽倫理研究は存在意義を失い、どん詰まりになる!。

 2010年代以後の間嶋先生の研究は、まさに経営倫理研究のありかたを、ひっくり返していくことを目指していたのです。

3. 研究者と経営者の新たな関係を目指して
 なぜ、間嶋先生は経営倫理研究をひっくり返すことを、目指したのでしょうか。


 一つは、間嶋先生が指摘しているように、新しい倫理的な経営手法ともいえる、CSVやソーシャル・イノベーションが登場し、従来の経営倫理研究では手に負えない存在になってしまった、ということだと思います。従来の経営倫理研究の立場からは、CSVやソーシャル・イノベーションを、「本当に倫理的か?」ということを問い直していくことになります。当然、それらの企業活動が不可避に生み出してしまう、負の側面に注目することになります。でも、企業自体が「倫理」の担い手になってしまった今、そのような研究スタイルは「アラ探し」や「イチャモン」と取られかねない。そうなれば、経営倫理研究は、社会的な存在意義を失ってしまいます。


 もう一つ見逃せないのが、経営倫理の担い手として企業を捉えることで、組織不祥事の発生メカニズムを、より詳細に分析できるようになる、ということです。僕がカルト・マネジメントで「ブラックをホワイトで包み込め!」と書いたように、組織不祥事を起こす企業ほど、従業員や組織外部のステークホルダー達が「それは悪いことではない」と錯視してしまうような、「正しさ」を纏おうとします。それこそ、グリーン認証みたいに、その企業の提供する商品やサービスの倫理性を担保していく仕組みを、ブラック企業は巧みに利用します。その時、その仕組に経営倫理の研究者が関わっていたら、経営倫理研究が組織不祥事に関与していた、あるいは後押ししてしまった、という事になってしまう。

 だからこそ、企業も研究者と同様に倫理を語り、社会を良くするための活動を企業経営者として参加していく存在として認めていくことから、経営倫理研究は再出発しなければならない、と間嶋先生は考えているのだと思います。

 哲学や倫理学の知識を基盤に、絶対的に無謬の専門家という立場を暗黙の前提としてきた従来の経営倫理研究に対して、その暗黙の前提が、社会不祥事を招く可能性を鋭く指摘し、経営者の担う倫理に改めて真摯に向き合い、研究者としての社会参加がどうあるべきかを考える。倫理を確定していく特権的地位を失った研究者が、いかに新たな役割を社会の中で獲得していくのか、そのためには企業がいかに経営倫理を語り、担っていくのかをあきらかにしていこう。それが間嶋先生の構想する、新しい経営倫理研究です。

 間嶋先生の語る新しい経営倫理研究で、経営学者がどのような役割を担うべきなのか、その全体像はしっかりとした姿で見えていません。そかし、年齢的に脂が乗り切り、過去の研究をまとめて自身の学問を世に問い、社会に関わっていくはずです。

 先に紹介した間嶋先生の著書も大変面白いですが、学術論文はよりエキサイティングです。間嶋先生の研究活動を追いかけていくことで、一つの研究領域が変わり、社会も変わっていく瞬間が、見れるかもしれない。これを機会に、ぜひ一度、間嶋先生の論文を読んでみて下さい。
「なんかめんどくさいことやらされているなー」と思いがちなSDGsが持つ、企業経営に与えるパワフルな側面が目の前に広がっていくはずです。


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