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幸せのヒント。【手神さまへの手紙②】

昨年暮れに、「#手」にまつわる記事を募集し、寄せられたものを「手神さまへの手紙」というマガジンに収録しています。

トップの画像は、そのマガジンに寄せられた、こちらの記事からお借りしました。

髙塚しいもさんの、「家族と、私と、あなたと、手と手。」。

しいもさんは、5人のお子さんのおかあさん。トップ画像の可愛いおてては、末っ子の三男くんのもの。
その写真にまつわる記述を、記事から引用させていただきますね。

「保育園いきたくないよ」って日の朝。
私は、手にたくさん、絵を描いてあげて送りだす。

これは長女のときから、みんなにやっていて。
長女には似顔絵を。
次女には「応援してるよ」のメッセージを。
双子には、恐竜や電車や線路を。

三男にはこうして、アンパンマンや好きなモノを描いてあげる。


上の子が大きくなってきたら「ぼくが描いてあげる」と、姉たちが弟のおててに絵を描いたりしている。


手を通じて、家族の想いは循環していく。
なんだかいいなって思う。

三男くんの手に、おかあさんが、おねえちゃんが──愛情たっぷりに描いた「おてての絵」。
それが、三男くんのお守りになっているって……なんだかとても素敵です。

記事には、他のご家族の手へのしいもさんの愛情もあふれていて、こんなふうに手を通して家族ってつながれるんだ、こんなふうに手を大切にしながら子育てってできるのだ……と、すっかり身につまされてしまいました。

わたしは、しいもさんほど、子どもたちの手を慈しんでこなかったなあ……と素直に思います。
それはもちろん、いまは成人したふたりの息子を慈しんでこなかった、ということではありません。
わたしはわたしなりに、精一杯、日々の子育てに向きあってきました。
それは他の誰かのものとは決して比べられない、わたしのたからものです。

でも、ふりかえってみれば、当時は、あとからあとから生まれる心配事で、押し流されるように毎日を生きていたなあとも思います。
「どうしたらいいか」──いつもそればかりが頭を占めていて、その分、目の前にあったはずの息子たちの手を大切にしてきたと、いえる自信がありません。

そんな思いが、つい先日投稿したばかりの自分の記事とも重なりました。
ひとつ前の投稿で、わたしは、家事についてこんなことを書いていました。

テーブルを拭く手に心を込める。
コップを洗うとき、手に宿った「手神さま」を意識する。
たったそれだけのことなのに、不思議なほど、「いまこの瞬間」を感じやすくなりました。

「いまこの瞬間、手がどんなふうに動いているか」に、自然と氣持ちが向くから……なのかもしれません。

(中略)

いままでは、ごみを捨てながら、「次は洗濯物を干さなくては」と考えたり、シンクのお掃除をしながら、「お掃除しても、またすぐに汚れちゃうんだよなー」と考えたり……していたと思います。
でも、手に心を込めることを習慣にしたら、「いま自分のしていること」を純粋に楽しめるようになりました。

ああ、そうかあ……。
子育ても一緒だったんだなあ。

家事をする「手」を意識したら、それだけで、いまそこにある喜びに氣づくことができたように、子どもたちの「手」にふれれば、それだけで、いまそこにいる我が子と喜びを分かちあえる。

ひととき、わたしはそうして息子たちと「手」を通してつながることを、忘れて過ごしたかもしれません。
先々の心配事に心を奪われて、「いま」というかけがえのないものから、手を離したかもしれません。

しいもさんの記事を読んで、素直に素直に、自分の子育てをふりかえることができました。

幸せって、「いまここ」にあるものです。
将来の幸せをどんなに願おうとも、「感じられる幸せ」は「いまここ」にしかありません。
だからうっかり、その「いま」から手を離してしまうと、「幸せの供給」が途絶えてしまう。

子育ての悩みを、笑って──あるいは、たとえ泣きながらでも乗り越えられるかどうかって、実はそんなところにヒントがあったのかもしれません。
「いま」と手をつないでいるか。
幸せのエネルギーを、自らの「手」で供給し続けているか。


さて、ここからは続けて四つの記事をお届けします。ご家族の大切な手について書かれた、心のこもったご投稿です。


カオラさんの、「『手』から伝わるもの」。

カオラさんは、ご自身とお子さんたちの経験をもとに、不登校に関するご発信を続けていらっしゃるnoterさん。
以下、記事より引用です。

長男が学校に行けなくなり眠れなくなった頃
よくハンドマッサージをしていました。

まだぷりぷりした大きめの赤ちゃんみたいな手を
ゆっくり丁寧にもみほぐすと、
長男はスースー寝息を立て始めます。

中学生になり高校生になって
ぷりぷりだった手が青年の手になってからも
受験前など不安が高まった長男の手を
彼のベッドに腰掛けながらもみほぐしました。

(中略)

うんうんと話を聞きながら
長男の心のこわばりがほぐれるように
「手」をもみほぐしていました。

忙しいお仕事をこなしつつ、お子さんたちの心のありようを細やかに氣遣いながら……目の前にある我が子の「手」を、カオラさんはしっかりと握り続けてこられたのだなあ、と、しみじみ思いを馳せました。
手をもみほぐすと、心のこわばりもほぐれていく。
大事なことを丁寧に実践されながら、お子さんたちを見守っていらしたのだなあ!

年齢的にはわたしのほうが先輩ということになるのでしょうが、読ませていただく子育てには、教わることのほうがずっと多い。
カオラさんのご投稿を拝見していると、よくそんな氣持ちになります。

記事では、「8秒抱っこ」についても紹介されています。素敵なスキンシップ、ぜひ参考にしてみてくださいね。


続いては、こちらの記事を。

けいさんの、「あなたがいて」。

記事には、「遠くに旅立っていく」長男さんへの思いが綴られています。

どちらに旅立つのかは詳しく述べられていませんが、記事を一読して、丁寧に子育てをされてきた方なのだ、ということが伝わってきました。
ご長男さんも、きっと、とてもやさしいお子さんだったんだろうな……。

流れていく、美しい映像のような記事。
そのなかから、印象的な一部分を抜粋してご紹介します。
ぜひ、記事を訪れて、全体の「映像」を味わってみてくださいね。

生きる価値さえ見失ってしまったのではないかと
毎日心配して
あなたの頬をこの手でよく撫でた

そんなあなたが
いま、行ってきます!と
わたしを抱きしめて
笑顔で遠くに旅立っていく

わたしはあなたに手を振ることしか出来なくて

近くで触れることの出来ないこの手は
スマホ片手に言葉で繋ぐ

あなたの幸せを
いつも願っているよ と



さて、こちらも素敵なおかあさんです。

シマななこさん。「おててと手」。

下のお子さんが生まれたとき、長男くんにふれられるのが、ひととき苦手になった……というご経験を素直に話してくださるシマななこさん。

ご本人のなかには忸怩たる思いもおありなのだと思いますが、それがひとたびシマななこさんの言葉として発信されると、不思議な明るさを帯びていきます。
大変なご経験も、シマななこさんの言葉で読むと、読者に伝わるのは元氣や勇氣。それって、すごい言葉の力だと思います。

以下、引用です。

ふっくらしていて  もみじのようだったあなたのおてては
いつの間にか 指が細く長く 男の子の手になった

今年は乾燥に悩まされていて 手にワセリンを塗ってあげた
あかぎれは おかあさんといっしょだね
おかあさんも手が痛いよ

そう言うとあなたは『いっしょだね』とはにかんだ

「手が痛い」のを、「いっしょだね」とはにかむ長男くん。
胸がきゅんと……つい音をたてました。


最後に、もうおひとかた。
お子さんではなく、奥様の手のお話。

続気楽な散歩。さんの、「#手」。

短い言葉で、ひたすら率直に、長年連れ添われてきた奥様の手への思いと愛情が綴られています。
一部、引用します。

妻の手は、家事に、パートの草むしりに
とても荒れていた。

それらを辞めた今となっても、妻の手は苦労のあとの証として、深いしわが刻まれている。

70歳という年のせいではなく、苦労のあとなのである。

こんなふうにパートナーを思いやれるって、本当に素敵ですね。

こういう記事を書かれるのはどんな方だろう……とクリエイターページを眺めていたら、プロフィール欄に、こんな短歌が記されているのを発見しました!

我の行く 道のりを共に 妻がいる  笑顔可愛く 情けは深し

笑顔可愛く、情けの深い奥様を……どうぞこれからも大切に!



企画に賛同してくださったみなさまに、心からお礼を申し上げます。

2月2日まで記事は募集中ですが、毎回できるだけひとつのテーマに沿いながら、順次ご投稿を紹介していきたいと思っています。
すべての記事のご紹介には少しお時間をいただくことになりますが、ゆっくりと楽しみに、お待ちくだされば幸甚です。

また、企画に参加したつもりなのにマガジンに収録されていない、という方がいらっしゃいましたら、ご面倒でもくりすたるるまでお知らせください。どの記事のコメント欄からでも結構です。


みなさんの「#手」の記事を収録したマガジンです。↓↓↓

「てがみさま」について、最初に書いた記事はこちらです。↓↓↓

「#手」の募集記事はこちらです。↓↓↓

「手神さまへの手紙」紹介記事のシリーズはこちらです。↓↓↓



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