適応障害の可能性があるかもしない(その1)
つい、この間のこと。仕事が嫌になってしまった。永遠にも思えるような作業に絶望してしまった。周りの人間はいわゆる”仕事できる人”が多く、社会人2年目の僕にはなんでそんなことまでわかるの?なんて言葉でいっぱいだった。
自分はこのプロジェクトにとって価値がないと考える。
社会人2年目とはいえ、配属先は違えど1年間はSEとしてやっていた時期があり、次の配属先でもうまくやれるだろうと思っていた。しかし、それは甘かった。そんなメンタリティでうまくいくはずなかった。
配属されて1ヶ月は自分でもこんなもんだろ、何て思っていたが5月に入ってから急に焦りを感じるようになり、
「僕は会社にお金をもらうだけの仕事ができているだろうか」
そんなことを思うようになった。業務外では一切仕事について勉強したいとは思わない為、業務中に指示されたことは自分なりにリスト化するように心がけた。
仕事をするために作業をリスト化してる為、何のためにその作業をしているのかが分からなくなって、
「お前は自分で考えようとしてない、それじゃあ成長できないぞ」
と上司から言われてしまった。
言われたことをただこなしていることは確かに楽だけど、それはSEではない。 (と思っている)
お客さんからの要件を守るのはもちろん大事なことではあるのだが、その要件を 満たす中でより最善な(効率的な)機能や修正案を提案できるような人材こそSE と言う仕事なのだと考えた。だとすれば、
「僕は簡単な(誰でもできる)仕事だけやってる価値のない人間」
だと言えるだろう。そう思ったら最後、絶望した。
仕事ができない/自分には価値がない/情けない/弱い/言われたことしかできないクズ戦力外/クビ…etc
毎日そんなことを思うようになって、仕事は前から面白くなかったけどうまくことが運んだ時は嬉しくてやりがいはあったのにそれも周りの人たちと比べるようになりどんどん自分はなんて使えない人間なのだろう、と思う日々。
気分転換に旅行に行ってもずっと仕事がうまくできているかが不安で楽しめず、 他の趣味にもやる気が起きなかった。
ついに限界が来た
水曜日の朝、仕事前に現場の課長に配属先の変更相談のメールを出した。その20分後、課長から電話がかかってきて事情を説明した。説明しながら泣いてしまった。何でかわかんないけど、大泣きしながら仕事が辛いことを伝えられた。課長はすごく心配してくれた。(その優しさでまた泣いた)
その日は1日お休みをいただくことになったが、何もしたくなかった。携帯の検索タブには”無能の生き方””もう死ぬしかない””価値のない人間 生き方” なんて検索をしていた。(後で気づいた)
続く…