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「木のぬくもり」って・・・ぶっちゃけ何だと思いますか?



はじめに 「木のぬくもり」って何だ?

「木のぬくもり」って表現を社会のいろいろなところで見かけることがあるだろう。でも、これって実際何なんだろ。「木のぬくもり」の「ぬくもり」は漢字では「温もり」と書く。木のあったかい感じを表現する言葉だ。

本稿では「木のぬくもり」がカジュアルに使われすぎていて、やがて意味をなさない言葉になっていくのではないかというような内容を書いていこうと思う。

1 「ぬくもり」が持つニュアンス

「ぬくもり」についてのニュアンスは、下記のウェブサイトに詳しい。

このコラムで象徴的な箇所を引用しよう。

小野先生 : 「ぬくもり」は江戸時代にうまれたことば。単なる温度感の「あたたかさ」とは違う、複雑なニュアンスを含んでいます。特に心情に入りこむあたたかさで、優しい、懐かしい、といったイメージを感じさせます。
筆者 : 「人のぬくもり」「春のぬくもり」といった表現がピッタリだと思います。
小野先生 : 「包みこむようなあたたかさ」というニュアンスが伝わってきます。「ぬくもり」は、わざわざいわなくても、優しく大いなる何かの存在を表現できることばです。

「ぬくもり」は“心情のあたたかさ”のあることば。「ぬくぬく」は楽しみ過ぎに要注意!?
https://san-tatsu.jp/articles/158024/

「あたたかさ」よりも心の機微に寄り添ったニュアンスが「ぬくもり」にあるようだ。「あたたかさ」に完全にとって変わられず、令和の今も「ぬくもり」が言葉としていこ残っている理由はこの点に求められる。


2 「木のぬくもり」の扱われ方

「木のぬくもり」の初期の用法を確認する。国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみた。

老樹は春の日差しを一杯に浴びて力強く梢を空にのばしてゐる。二人は幹に手を当てゝ微笑みを交わした。手に伝はる木のぬくもりが心を温める。

「記念樹」(『苦楽』4-5号所収、苦楽社、1949年)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3546634/1/11

その中を私は林の魑魅となり、魍魎となり浅瀬をわたる心にさざなみ立てて歩きまはり
若木をゆさぶり、ながながとねそべり、
又立つて老木のぬくもりある肌に寄りかかる。

高村高太郎「落葉を浴びて立つ」
(『現代詩人全集 第9巻 (高村光太郎集・室生犀星集・萩原朔太郎集)』、新潮社、1929年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1171744/1/50

これらの事例から以下の事柄を指摘できる。

  • 先述のコラムが指摘する通り「ぬくもり」は心の機微が関わる。「木のぬくもり」は、それに触れる人間の心とリンクする。

  • 生きている自然の樹木で「木のぬくもり」を感じている。


3 「木のぬくもり」は現代において老いた表現になっていないか?

ひるがえって、現代で「木のぬくもり」が使われるシチュエーションについて考えてみたい。

個人的な印象論になるけれども、「木のぬくもり」は何かモノを売っている場所で多く見かける存在になってしまったように思う。

たとえば、ホームセンターに出かける。家具や家の設備についてのいろいろな機材が販売されている。それらは多くは金属やプラスチックで作られているが、なかには木製品も存在する。その木製品の販売促進の文言として「木のぬくもり」を多く見かける。

他にも、楽天とかで商品を探す時、そのジャンルのメイン商品が金属・プラスチックであるとき、木製品や木目調の商品のPRポイントとして「木のぬくもり」が使われる。

これらの事例からは2点を指摘できる。

  • 現代では鉄製品・プラスチック製品との対比で、木製品の良さをアピールするために「木のぬくもり」が使用されうる。

  • またその際、当然ながら、生きた樹木ではなく、販売のために加工された樹木に使われうる

これは前章で確認した「ぬくもり」が言葉として持つニュアンスをかなりの割合で削いでしまっている。人の心と通わせるものでなく、他製品との購買上の差別化のために、商品に用いられる言葉として多用されているのだ。

もちろん「木のぬくもり」という心理的なニュアンスが購買意欲に繋がるからこうしているのだが、昭和のはじめの用法からはかなり遠くへ来てしまったのではなかろうか。


おわりに 私たちは「木のぬくもり」の表現としての最期を看取っているのかもしれない

大量に生産された「木のぬくもり」は、各商品の説明文において連呼される。その無機質な大規模化は、見かけ上は「木のぬくもり」がたくさん存在しているかのように振る舞う。ところが考えてきた通り、それは「木のぬくもり」や「ぬくもり」が持つ元来のニュアンスを破壊するようなものとなっている。

こうしたことを考えると、もう私たちは「木のぬくもり」を表現として看取らねばならない時期に達しているのかもしれない。当然ながら、元来の使用方法で「木のぬくもり」を使うことはできる。自然のなかで樹木の良さを感じながら心の機微に触れる際、私たちは今でも「木のぬくもり」表現を用いることができるだろう。

ところが、その経験より圧倒的にホームセンターなり楽天なりで商品とその宣伝文句としての「木のぬくもり」を見かける機会の方が多いのだ。

これは現代の消費社会を考えると仕方のないことだ。だがそれゆえに「木のぬくもり」という言葉はやがて失われていくのだろう。

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