【noteの書き方】矛盾した指南があったらどうするか? →noteを毎日投稿したりしなかったりしろ
はじめに 世に溢れる文章書き方指南
noteを見ていると、やたら文章の書き方とかnoteの書き方みたいな投稿が出てくる。需要がかなりあるのだろう。
論旨に関わるところでもあるのだが、個人的には文章の書き方を学びたかったら、いろんな指南書・指南noteに当たるべきだろうと思っている。
文章を書く目的を明確にし、それに関する指南はたくさんあるだろうから、それらを濫読する。これでいいんじゃないかと思っている。
ところが往々にして、いろんな指南を読んでいると互いに矛盾したことを言っていることがある。
今日はこの場合どーするかについて書いてみたい。
1 矛盾した主張を見たときには?
端的に答えてしまうと、矛盾した主張を見かけた際には「両取り」できないか考えるのがいいと思っている。
note内の議論で頻繁に見かけるものに、毎日投稿するべきか否か? というものがある。
それぞれ毎日投稿するメリットと、毎日は投稿しないメリットを説いている人がいる。また実際に、毎日投稿を始める人と、毎日投稿を止める人を見ることができる。
それではこうした状況に際して、私たちが取りうる手段として何があるだろうか。
それは「両取り」だ。
つまり、毎日更新するべきか意見が分かれているのであれば、毎日更新したりしなかったりしてみるのが良い。矛盾しているようであるのだが、もともとnote指南が互いに相容れないアドバイスをしてきているのだから、矛盾している状態こそが一つの真理なる状況であると考えられるためだ。
ということで毎日更新したりしなかったりしろ。
2 文章指南書の事例から
今手元に、斎藤美奈子『文章読本さん江』(筑摩書房、2007)がある。
世の中文章の書き方本ってのは歴代大量に書かれてきたわけで、それを要素ごとに整理したものが本書になる。いろんな文章指南書を紹介するので、当然対立する意見をそれぞれ紹介することになる。
例えば谷崎潤一郎の『文章読本』では、「文章はありのままに書け」という。一方清水幾太郎の『論文の書き方』では「文章はありのままに書いてはいけない」という。
これについては皆さんはどう思うだろうか? 文章は思うがままに書いたらいいだろうか? それとも構成やその連結を意識し組み立てながら書くのがいいだろうか? 状況に応じて著すのが良いとするだろうか?
本noteの意見としては、文章はありのままに書いたりありのままに書かなかったりするべきだ、となる。
矛盾した指摘があるならば「両取り」してみよう、というわけだ。
それでは、次章では「両取り」するメリットについて考えてみよう。なお『文章読本さん江』は文章を書く上でとても勉強になるので、とってもお勧めだ。
3 「両取り」のメリット
自分の文章に合ったスタイルを見つけられる
一つに定めないで矛盾した記述の両方を試してみるメリットとして、自分に合ったスタイルを見つけやすくなるというものがある。
両方試してみることで、「これいいな」という感覚に気がつける可能性がある。2つ試しているのだから、発見の可能性は2倍になる。
自分で選ばないってのがいいところだ。自分で、「これいいかな?」と考え選択することは、選択肢を狭めることになる。
自分の能力には限界があるため、常に賢明な判断をしているとは限らない。そのため何も考えずに両方試してみる方が良い。ここでは選ばない方が賢明だ。思ってもみない経験値が入る可能性がある。
そして往々にして、矛盾している二項対立のどちらかに着地しないことが多い。
ありのままに書いたり書かなかったり、毎日書いたり書かなかったりしていたら、どこか変なところへ飛んでいく。個人的には、オリジナリティというものは、この辺りを棲み家にしているように思う。
読者のリアクションを確認できる
異なるスタイルを「両取り」することで、それぞれの読者のリアクションをなんとなく掴むことができる。どちらかを行った場合と、オルタナティブな方を行った場合で、リアクションをそれぞれ眺めることができる。
ここでも情報量が2倍になる。
まとめ どっちも試す
文章指南書には様々な意見が書かれているけれども、私たちは時の最先端にいるから常に指南書に対して後出しジャンケンができるし、グーとパーを同時に出せてしまう。これをやらない手はない。
時の先端にいるメリットを生かすべきだ。
つまり、昔の人やnoteで指南を書いている人が言っていることについてどんどん試すべきだし、特に矛盾しているものこそ両方を試すべきだということだ。