十一人の賊軍観たー罪人と賊軍と武士と王
※クライマックス以外完全ネタバレしています。
できれば劇場で観て興行収入に貢献してほしいので、観てから読んでね。
端的に言って最高!!
アメリカのも日本のも
アカデミー賞総なめでしょ!!
山田孝之がひさびさに
マトモな映画(失礼)に
出ると知ってすぐ観に行った
しかもオレのオキニ
岡山天音くんも出るんだ
やはり『思い立ったが吉日』
(皆もフラグ立ったらすぐ回収するんだ!)
スプラッタ具合は鬼滅の刃の実写版
(首がゴロゴロ転がるよ)
覚悟ガン決まりの人間ばかりが
登場する映画だった
題材は戊辰戦争で
新発田(シバタ)と他の同盟関係が
よく分からなかったが
(日本史未履修)
新発田は小藩で、
周囲に長岡や会津がおり
(会津なんかは徳川お抱えだ)
なんとか小藩なりに
官軍(新政府軍)にも
旧幕府軍(徳川軍)にも
いい顔して外交していた様子
ナレーションで
日和見主義と言われるが
小国が大国に挟まれ
生き延びるためには
面従腹背や
権謀術数は必須だ
(ちなみにナレーションは
あえて教科書の文字を並べたように
無味乾燥な棒演技だ)
プロローグは自分のためだけに
行動する主人公(山田孝之)が登場
妻が置き屋にいるが
女郎ではなかった様子
(着物も粗末、下女か?聾唖だ)
それが新発田藩士に寝取られ、
その仇討ちのため怒りに任せて
藩士を殺した罪で投獄される
キリストの最後の姿で
(十字架に縛られている)
槍で突かれて死ぬか
フランス革命のギロチンのように
首をノコギリで削られて
(下半身が地中に
埋められていて逃げられない
ゆっくりと削ってやれば
死の間際まで
恐ろしいほどの痛みで苦しむ)
死ぬかギリギリの
その時、
新発田藩士(仲野太賀)が
現れ
『オマエら罪人に任務を言い渡す』
『砦を死守せよ』(ビシッ)
『成功した暁には罪は問わない』
(無罪放免)
しかし、新発田藩士に
恨みのある山田は
『オレは新発田のためには働かねえ』
一方、新発田家側、
殿はまだ幼い
(10歳代前半か)
しかも思想改造前の
ラストエンペラー溥儀みたいに
臣下を虫ケラのように弄ぶヤツだ
でも どんなに足掻いても
『官軍(新政府軍)がいずれ勝つ』
と見抜いている
それを支える臣下
日和見主義の阿部サダオ
(なぜか城の天守閣に洋風の風見鶏がある)
(風見鶏のようなサダオという暗喩)
サダオは官軍が来たら
殿の言うとおり
無血開城する気でいるが
旧幕府軍(列藩同盟?)から
『従わなければ藩ごと潰す』
とメンチ切られ脅される
官軍が自陣に来るには
まだ時間がかかる
それまで同盟に与するフリを
しなければならない
そのためには
時間稼ぎが必要
そこで
あとは死を待つばかりの罪人を使って
時間稼ぎをしようと画策する
(『砦を死守せよ』発動)
十人の賊軍の中にはノロという
(うすのろばか、という
事からの渾名かと思われる)
花火職人の息子がいた
普段はへっぽこで
1ミリも実兄に似てない山田を
『兄ィ』と呼び慕っている、
コイツの技術と皆のアイデアで
交渉に来ていただけの
ほぼ丸腰の
新政府軍に一発喰らわす
助けたり助けられたり
しているうち
次第に賊軍のヤツらに対して
仲間意識が芽生える山田
その後も
サダオの謀略の真髄を
知っていたのは
サダオの娘婿の
イリエ(野村周平)だけで、
時間稼ぎが終われば
用済みになる
賊軍に仕立て上げた罪人どもは
皆殺しにする算段だと
太賀は知り、怒り狂う
(自分も『敵を欺くなら味方から』を
喰らわされてたことを知る)
ノロの油を見つける能力や
元長州藩士の凄腕ジジイ剣士や
山田の瞬発力(戦は先手必勝)で
官軍との闘いがひと段落した頃
用済みとなり殺されては堪らんと
自分だけはひと足先に
妻に会うため闇夜に紛れ
街に戻る山田
道中、新発田軍がサダオとともに
賊軍の砦に向かって来るのを目撃
目的は賊軍の皆殺しだ
自分のしあわせ(妻のところに戻る)
を取るか
仲間の命を救うために砦に戻るか
一瞬 逡巡する山田
(オレは妻のところに
戻ってほしいと思っていた)
(自分が一番かわいい)
でもオレは知っていました
白石監督は
単純に主人公だけがしあわせな
ハッピーエンドを用意しない
ということを
山田は賊軍の元に
敵が迫っていることを
知らせるために砦に戻ることを
すぐに決めた
(ダブルバインドの中、
自己矛盾と闘いながら
ジレンマを乗り越え
行動に移したことに拍手を送りたい)
これは鳥の鳴き声効果と同じだ
天敵が近づいたとき、
『鳴けば仲間に危険を知らせられる』
(種の保存に役に立つ)
だが
『鳴けば自分の居場所を天敵に知られてしまう』
(個体としての生命が脅かされる)
上記の条件であるにも関わらず、しかしながら
自分自身が襲われる危険を孕みながらも
仲間に危機を知らせる鳥が多いという
(オレ調べ)
山田はこの時点で
己が死ぬかもしれないことは
覚悟していたに違いない
そして、
サダオの裏切りを知り
謀(はかりごと)に巻き込まれた太賀
味方(賊軍)が死ねば死ぬほど
どんどんどんどん強くなる!!!
これを圧巻と言わずんば
いかんや、いずくんぞ
言わんや!!!をや!!
(…落ち着け、意味不明)
怪我を負った右手を
柄(ツカ)から外れないよう
紐で縛って
サダオに向かっていく
(ココ!ココの太賀がカッコいいのよ!)
(妓夫太郎と対峙したときの炭治郎なのよ!)
太賀『オレが十一人目の賊軍だ!!!』
(あ、やっぱり?最初十人しかいないから
太賀か周平か、もしやサダオ⁈とか思ってた)
ハイ、あとはクライマックスなんで
劇場でご覧あれ!!!
なんかラストは
現代日本の『トカゲのしっぽ切り』
を彷彿とさせてツライよ…
現代社会も内紛時と変わらねえじゃねえか…
余談ですが、
タイトル『十一人の賊軍』
なぜ十一(漢数字)なのか、
なぜタテ書きなのか
ポスター見ていただいたら
分かると思うんですけど、
おそらく『(武)士』とかけてるのでは
『十』だと山田が罪人時に
磔にされてた形ですよね
『十』人だと罪人だが
『十
一』人になることで『武士(賊軍)』となった
(賊の中に十の文字がありますね)
(太賀は剣術道場の道場主なので
軍人とも言えますね)
そして『武士』以上の
(士はまさかり(斧)の象形文字)
『王』とも言える
(最後の一画は、彼らの生き様を
目撃するアナタですよ)
心の斧(まさかり)を持つ者となる
『武士』って合わせて11画ありますね
(こじつけ)
斧が画面に出て『チェーホフの斧』してたか、
定かではないんですが、砦には薪がたくさん
積んであったのでおそらく斧も存在していたのではないかと
(実は本気の『チェーホフの斧』は序盤に登場してますが、それは見てのお楽しみ、サダオが繰り出すアレです)
罪人や町人のことは『虫ケラ』など
映画内で罵倒する言葉が出てきます
武士に対しては、
サダオも覚悟を決めて
切腹に臨むカッチョいいシーンが出てきます
『罪人』『賊軍』でありながら
『武士』か、それ以上の
『王』並みの覚悟や
熱い意地を見せてくれた、
我々をその目撃者にさせてくれた、
そう感じました
そして
今ある平穏な日常は
誰か見ず知らずの人たちの
死や犠牲によって
成り立っている
あやういものでもある…
そうなんだよ、と
白石監督は教えてくれた
エンタメ性もありつつ
史実から着想を得た
この時代に得がたい
良作を観ました
(劇終)
ここからは余談の余談なので読まなくて大丈夫です。『十』から『士』になるのは分かるけど
なぜ『王』になるのか。オレの単なる空想遊び↓
(ウィキより)斧の説明
斧の刃を下に向けたものが象形字「王」となった。これは古代中国の王が、罪人や反逆者を斧を用いて裁く権限を持っていたことに由来する。そこから、軍権・専断権の象徴となった。配下にそれらの権限を与える際には斧鉞を与えている(符節もしくは仮節鉞)。日本武尊や神功皇后の持つ鉞によって権力の移譲された記述をみるに古代日本にも風習が伝来していたようである。
中国では霊力を持つと考えられ、玉座の前での儀式に使用された。古代王朝・殷においては、巨大な銅製の鉞で人身御供(多くは、罪人や捕虜)の首を刎ね、供物として神に捧げた。
歴代の皇帝が着ていた袞衣のデザイン「十二章」にも「果断(ためらわない決断)」の象徴として取り入れられ、中華民国の1913年2月-1928年12月までの国章ともされた。
『ためらわない決断』
コレが賊軍勝利につながった
山田の『急襲しよう』案から
非常に強く感じたので
空想してみました
そしてまた、妻や自分より
賊軍の仲間をためらうことなく
選び切った山田が思い浮かぶ
そして、『士』が『王』になるためには
もう一人必要なんですね
これは、この映画に携わった役者、
監督、スタッフさんたち、
そして映画からメッセージを受け取った
アナタ自身である、
と感じております
『勝てば官軍、負ければ賊軍』
果たして真の賊軍は誰を指すのか…
(終)
そして余談の余談…も余談
YouTubeでKing Gnuのメチャカッチョいい主題歌流れたんですが、(間違えました、Dragon Ashでした)あれは映画では出てきません。
エンドロールにも出てきませんでした。
(オレが感知できなかっただけ??)
気に入ったストーリーには、合う音楽をつけたいオレは、帰って安室奈美恵さんの『Damage』を
めっちゃ聴きまくりました。これも、高村薫氏の『黄金を抱いて翔べ』の主題歌でしたね、あの作品も仲間と裏切りがテーマっぽいですよね(未視聴)