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・フラッシュバック注意・友達なんていらないのよと言い放った母親

1月。
成人の日を過ぎたあたりから、だんだん私の調子は悪くなる。進学塾のカバンを背負った女の子と歩く母親を見ると解離したりフラッシュバックしたりしてしまう。あの頃母親から受けた教育虐待を思い出してはカッターで自傷したりする。
今、母親はそのへんのことが全く記憶にないらしい。
中学受験当時の話をすると「責めないでよ!」と泣かれ、「やられたこといつまでも覚えてるなんて嫌らしい」と言われる。
殺したくなる。

私の小学校の思い出はろくなものがない。
小学生の時、母親は私のクラスのすべてが嫌いで嫌いで仕方なかったため、私の友人や友人の母親の悪口(大体被害妄想)を聞かせたり、イライラが爆発して奇声をあげ、物を投げつけて私に八つ当たりしてきた。
そのかわり、弟のクラスは好きだったらしく、事あるごとに
「〇〇(弟)と私は血液型が同じだけどあんたは違うから気が合わない。あっちに行け!」
「私、〇〇の方の役員やるから!あんたは勝手にして」

恥ずかしい話だが血液型の話は未だにしていて、恥ずかしいからやめろと言っても聞く耳をもたない。
学ぶ意欲のない無知でバカな女だ。

母親が公立の奴らと関わりたくないため私は中学受験をさせられた。
最終的には、「あんたに友達なんて、いらないのよ!」と言い放った。
実際、私には小学生時代の友達はいない。
塾でのクラスが低いことをバカにされたりしていたので早く卒業したかった。
担任にも嫌がらせをされ、私には学校、家、塾のどこにも居場所がなかった。
女子校に行くことを決め、「私は二度と男と関わりたくない」と言った時の担任の顔は後悔でいっぱいになっていて今でも笑える。
今現在最悪だったその担任は東京の多摩の山奥で校長をしている。
地獄の展開。

こんな思いを抱えてるのに、母親のくだらない愚痴やゴシップ、近所の悪口に笑顔で応えてしまう。
これは私が不機嫌なとき、母親が私の名前を何度も呼んで笑うことを強要してきた結果である。
これが仕事にも影響している。
疲れていたり忙しいのに新しい仕事を振られたときにも笑顔で受けてしまい、こなしてしまう。疲れに鈍感になっている。

病院から紹介されたデイケアに通うようになってから友達が出来ても母親から「通う目的が違う」と否定された。
中学の時に死にたいとつぶやいたら「電車だけはやめてね、お金かかるから」と死ぬことを反対されなかった。
将来的に一人暮らししたいことを18の時に言ってみたら「一人暮らしするなら縁切るから」と言われた。
とにかく否定して私のやる気を削ぐ女だ。

デイケアに通うようになって、
始めは人との距離がよく分からなかったけれど
友達の距離と単なる知り合いの距離の違いがわかるようになると、友達が自然とできるようになった。だが、とても悪いことをしているような罪悪感がのしかかった。
15年くらい前、まだ教育虐待なんて言葉はなく、相談したデイケアの支援員には、「教育熱心だったのね」と母親の肩をもたれた。

今通っている心療内科のカウンセラーさんに「被害妄想の強い毒親」と言ってもらえてとても嬉しかった。
虐待と認められたと思った。

自分が何をやってきたのか覚えていない母親を
小学校低学年から仲良かった子との仲を引き裂いたあの母親を私は絶対に許さない。

未だに小学生の女の子をテレビで見ると嫌味を言う。
さすが、自分の娘とはいえ小学生の女子の髪を引っ張り引きずり回し、唾をかけ奇声を発して罵倒し、参考書で何度も殴りつけるのを毎日やった母親である。
弟の中学受験にはまったく暴行しなかった上に本人は望んでないのにギターを買ってやりたいとほざく男好きな男尊女卑思考の女。

女に産まれなきゃよかった。
早く死ねばいいのにと思ってしまう。

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