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精神科看護師 と 死にたい患者

精神科イコール自傷、自殺の話が頻繁に出るような印象があるかもしれない。「精神科はそういう患者がいるから大変よね」と同僚に言われたりもする。生きるために必死に生と向き合う患者と、身体科の患者の何が違うのかわたしには分からない。変わらないと考えている。

職業上「死にたい」もしくは「死にたいほど辛い」もしくは「死んでしまいたい」の患者と話すことがある(自分も患者側として同じ気持ちになったこともある)。

患者から死にたいと言われたら


王道な向き合い方はこうです。

  • 「自殺を悲しむ人がいることを忘れないで」

  • 「いまここに生きているだけでいい」

  • 「病気がそうさせているだけ。一緒に治療に向き合いましょう」


正直自分が言われたら何にも響かないですね。だから何?と思ってしまう。「悲しむ人がいるから何、死んでしまうのだからそこまで考えなくていいし、残された者たちでどうにかして欲しい。むしろ家族に迷惑をかけたくないから、死ぬのだ」「いまここに生きているだけで本当に価値があるのだろうか。生きている意味もないのに、何もわかってない。無責任だ」「病気がそうさせているのなら、治らない病気を抱えているわたしはずっと苦しい状態で生きていかなければならない」など、病気になったことがない人には分からない次元の辛さなのだ、と相手の話はほとんど聞こえません。

ではどうするか。
王道な答えはこうです。

「TALKの原則」

  • 心配していることを言葉にして伝える

  • 「死にたい」という気持ちの有無について率直に尋ねる

  • 「死にたいほどつらい」相手の気持ちを傾聴する

  • 安全を確保する


わたしだったら「あなたに死なれたら辛い」と話してみます(似たような言葉ですが言い方を少し変えます)。自分が心配している、と伝えるのです。もちろん死にたい気持ちに至った経緯はしっかり聞いた上で、です。死にたいひとの気持ちから目を背けない。必ず面と向かいます。



そういえば・・・いつか忘れましたが看護師間で話していた時、深いなあと思った言葉があります。

先輩のことば

「生まれてきてしまったのは仕方ない。でも死ぬのは一生に1回しか使えない。だから死ぬ方法くらい最後に選ばせて欲しい、って思うけどね。」

症状に悩んだ末の自分で選んだ「選択」だから止めずに見守ってあげたい、というのです(実際には見守らずに全力で止めますよ)。尊厳死の考え方につながるのでしょうか。

わたしも「死にたい」という気持ちは肯定します。でも患者の気持ちは十分共感できますが、このまま治療を続けていけば辛さを緩和させられる可能性があるかもしれません、そのまま自死を承諾することはとても出来ないです(とぐるぐる考えてしまう)。ここまでが看護師としての考え方。



患者(わたし)の立場で考えると、看護師や医師がこのような関わりで接してくることは分かっているし、本当に寄り添ってくれるか猜疑的です。さらに言うなら、いまより辛い症状を軽減できるか実際には分からないのです。

双極症は「低め安定を目指す治療」「ちょうどいいところで付き合っていく治療」がゴールといいます。向かう途中で失敗したら社会的信用を失うわけで、それは医師や看護師でなくて患者自身です。今失敗して辛いのに、また失敗しなければならないのか?とても耐えられないです。説得されても、これはわたしの問題ですのでありがとうございました、で話しが終わりそう。そうなると閉鎖病棟 保護室に入院になって、、、。


精神科看護師と患者、精神疾患の看護師でいつも揺れています。答えがないから精神科は働きがいがあるのですが、患者としては答えが欲しいです。もしよろしければ「スキ」ボタンお願いします。


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