【ASD×精神疾患心境】私を笑わないで #多様性を考える
【算数】
小学校のとある時期、私は算数が苦手だった。
そんな私に先生はこんなことを言った。
「これは◯年で習った内容だぞ? 」
「算数ができない人はダメ。」
毎日、毎日、繰り返されるその言葉に加え、子供でも分かるあからさまな侮蔑の視線。
黒板を平手でバシバシと叩いて、威圧されたり、指名された上での発言を無視されたこともあった。
極めつけはクラスメートの前で先生が放った言葉。
「よづきみたいに算数ができない人はダメ。」
言いながらこちらを見たその顔は笑っていた。
【摂食障害(入院中)】
私は摂食障害に罹患した際に、食事が摂れなくなり鼻から胃まで管を入れてそこから流動食を摂取する「経鼻経管栄養」という処置を1ヶ月ほど受けたことがあった。
1日中続く嘔気など身体的な苦痛も大きかったことに加え、管が入っている見た目による精神的苦痛もあった。
それでも、生きるためそして、病気を治し日常を取り戻すためと「見た目くらいは」とあまり気にしないように努めていた中。
病室に来た医師(主治医ではない)と看護師は、
私の顔を見るなり鼻で笑った。
【摂食障害(退院後)】
身体と心が食事を拒絶する中、私は死に物狂いで食べた。
生きるために懸命に食べた。
それでもなかなか体重は増えず、身長も低身長のままだった。
骨と皮だけのちっぽけな人間だったけれど、「生きること」に真摯に向き合っていた。
そんな最中、通りすがりの名も知らない2人の先輩に言われた言葉。
「ガリガリだね。」
「ほんとだ! チビでガリじゃん。」
その後もその先輩とすれ違うたびに心ない言葉を投げかけられ、クスクスと笑われた。
言葉も表情も時には人を傷つける刃になる。
それは時に心に致命傷を負わせ、命さえ奪うことだってある。
心の傷は無かったことにはできない。
失った命はお金でも、愛とやらでも取り戻せない。
他の人と違うように見えても、一生懸命に生きている人を笑ってほしくない。
例え、「多様性」が受け入れられなくてもいい。
理解されなくてもいい。
ただそっと、そこにいさせてください。
私を笑わないで。
障害や病気を抱えていても、健常者と同じ心があって健常者と同じように日々を懸命に生きていることを忘れないで欲しいと1当事者として思う。
よづき