感性とか個性とかいうもの。
先日個展を見に行って、作家さんだけでなく、お子さんやそこにきていた子供たちの個性あふれる表現がいいなぁと思った。
自由に好きなように楽しそうに、感じたことや描きたいことをそのまま描いている感じ。
ほんと、子供たちの感性っていいなぁと思う。
絶対ほんとはみんな、こんな風にそれぞれ自由でおもしろい感性を持っているのだと思う。
それを、わざわざ、みんなと同じようにとか、お手本のようにとか、教科書を参考にとか、言われたとおりの手法でとか、どんどん制限されたり限定していったりして自由でなくなるんだと思っている。
子供って(もちろん子供だけでなく)ほめてもらえるようにがんばるじゃん?
親とか先生とかまわりの人たちが、こんなのがいいなぁと思っている方向にがんばって、大人が求めるようにみんなと同じように評価する人が好むようにと進んで、ほんとはそれぞれ持ってる個性や感性を閉じていってしまう。
大人になってからも、無難に平均的にしていないとめんどうだったりするから、人と違うことや変わってるかもしれないこととかは、やらないようにしたりするよね?
何か気づいたり感じたりしていても、いちいち表現しなかったり蓋をしたりとか。
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一方で、もともとはみんなまっさらな状態なのが、生まれたときから、そこで感じたこと見聞きしたことなどで、その人だけの持つものがつくられはじめると思う。(と言っても体内記憶とかもあるからもっと前からかもしれない。)
いろんな経験をして、いろんなことを感じて考えて、いろんな感情を味わったりして、「その人」というものがつくられていくじゃん?
誰ひとりとして、すべて同じ体験をして同じことを感じるってことはなくて、だからすべての人が唯一無二だし、それがその人の個性だし、そこにその人だけの感性がある。
だから、そのまままっすぐ表現していたら、そこにその人らしさはあるはずだし、それがその人のアートだと思うんだよなぁ。
アーティスティックに表現するかどうかとか手段はさておき、発していることや現していることすべて、話すのも書くのも描くのも着るものとかもその人らしさだしその人だけの表現だと思う。
(というのを、わざわざまわりに合わせたりしてその人らしくないようにしてしまうだけで。)
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個性的な突き抜けた何かでなくても、個性だし、尖った感覚でなくても、感性だし。
見つけたり磨いたりしなくたって、そこに個性とか感性とかあるものだと思う。
特別な何かをするのでなくても、そのままそれが見れるだけでおもしろいのになぁと思うし、みんながそのままの個性とか感性とかあらわせるのを楽しめるといいのになと思っている。
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