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お彼岸で感じた集合的無意識

お彼岸。
毎度のこと実家の仏前にも手を合わせに行く。

今回、父は穏やかだったけれど、代わりに?母が私にいう。
「嫁として、お義母さんのお手伝いをしなさいよ」と。

私は田舎の長男の嫁だが、同居はしていない。母は長男である父の家に嫁ぎ、私が生まれた年から祖父母と同居してきた。
93才で大往生するまで頭はしっかりしていた祖母と母は、嫁姑問題という程の大した事件はなかったが私も近くにいて母の気苦労は感じていた。

そう、母は我慢していた…「嫁として


お彼岸に突然母にそう言われて、私は苦笑いしながら首をかしげておいた。
だって多分、義母はそういうの望んでないから。


義母も複雑な田舎村の家に長男の嫁として嫁ぎ、土地柄うちの母より苦労したのは本人の口から聞かずとも何となく分かる。この先私も同居する可能性は無きにしも非ず。その時年老いた義父母がどういう考えになるのかは計り知れないが、自分が辿った苦労を避けさせてくれているのか、煩わしいことを自分も出来るだけ避けたいのか、今のところは有難い距離を保ってくれている。


実家の母の言葉がけに夫も助け船を出してくれていたが、母はまったく聞く耳を持たない。

自分が正しいことを言っていると思っているからか。
あるいは、娘が姑に気に入られるために助言していると思っているか。(今更?笑)
あるいは、自分も嫁や娘にそうして欲しいからか。


義父母からも親戚付き合いの色々な話も聞いた。
どれだけ皆、ご先祖様の言い伝え、お坊さんだからの、年長者だからの、親だからの、言うことを聞いてきたことか。もちろん古来からの日本の良さを否定するわけではないが、もっとその固定概念や常識の奥にある根拠や理由を解いてみてもいいのではないか。真相を知りもしないのに鵜呑みにしていることも多い。そして、今の時代にあった選択をしてもいいのではないか。自分の意見をもってもいいのではないか。

何だか私はここに、集合的無意識をみた。

母の一言は、我慢は美徳であるという昭和の女性の良くもあり悪くもある価値観がそう言わせたのかもしれないなと思った。

そう今こそ、そんな集合的無意識を私だけでなく今を生きる人たちが断ち切る時だと言ってくれてるのかも。
お彼岸に、ご先祖様が(笑)

軽くかる~く、生きたいものです^^


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