私は私らしく一人で生きていく
昨年、映画『おらおらでひとりいぐも』を観て、本を読んでみたくなった。
そして今日、一気に読破した。
読みはじめが東北弁で書かれていて、慣れずに読みづらく、挫折しそうになったが、映画を観ていたおかげで、映画でのシーンが思い浮かび、本と映画をリンクさせながら、読み進めることができた。
タイトルの言葉は、
「私は私らしく一人で生きていく」という意味とのこと。
本書の中で、特に印象に残った部分は次の文章だ。
自分はひとりだけれどひとりではない、大勢の人間が自分の中に同居していて、さまざまに考えているのだ
誰もが心当たりのあることだと思う。
ポジティブな自分、ネガティブな自分、子どもの自分、大人の自分など、たくさんの自分が一人の人間の中に同居している。
一人と思っている顕在意識の自分に、たくさんの自分の心の声が話しかけてくる。
心に湧き上がるいろいろな心の声が、ジャズセッションのように音を奏で、心に響きわたる。心は賑やかだ。
その賑やかさを受け入れ、楽しめるか否かで、人生の質が変わるように思う。
この世の流儀はおらがつぐる。
おらはおらに従う。
この世の流儀は誰が作ったのか?
それは真実なのか?
時代が変われば、環境が変われば、変わるものであると思う。
世間の常識という枠に囚われて生きるより、自分の思うがまま、自分の心の赴くまま、生きることが大事であると伝えてくれている。
いつか桃子さんは人の期待を生きるようになっていた。結果としてこうあるべき、という外枠に寸分も違わずに生きてしまったような気がする。それに抗うほど尖ってもいなかったし、主張するほどの強い自分もなかったのだ。
誰もが陥りやすいことであると思う。
人の期待に応えて生きることが自分の喜びと思い込み、そのように生きてしまう。
けれど、本当の自分の喜びは、そこではないと後になって気づくのだ。
おめはただそこにある。何もしない、ただまぶるだけ。見守るだけ。
それがうれしい。それでおらはおめを信頼する。
おらの生ぎるはおらの裁量に任せられているのだな。
おらはおらの人生を引き受げる。
そして大元でおめに委ねる。
引き受けること、委ねること。二つの対等で成り立っている、おめとおらだ。
宇宙の真理をついていると思う。
「おら」は大いなる存在の一部である個の自分。
「おめ」は大いなる存在、ハイヤーセルフ。
ともに存在し、ともにこの世界に在る。
このことをいつも意識して生きたい。
本を読んで、この作品の素晴らしさを深く理解できたように思う。
また、映画を観てみたくなった。
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