先日、知人が勧めてくれた映画『陰陽師0』を劇場で観てきました。 ストーリーの中に真理が散りばめられていて、心に響く素晴らしい作品でした! この作品は、陰陽師の世界における呪術を「呪(しゅ)」と表現している。 陰陽師の観点で私たちが生きているこの世界を捉えると、すべて「呪」だと言えるだろう。 この世界は「呪」だらけで、私たちはその「呪」にかかっている。 「呪」も人の思いや感情から生まれるものだから。 この「呪」を祓ってくれるのが安倍晴明だ。 晴明が博雅に事実と真実の違い
瞑想が毎朝の習慣になっている。 朝のオンライン瞑想会のおかげだ。 1日の始まりに自分を整え、その日をスタートできることに感謝している。 約30分間の瞑想中、無心の状態になれるのが理想であるが、 何かしら思考が働いているし、外界の音も聞こえている。 それでも、自分に必要な内的な変化は起きているだろうし、 今の私はそれを信頼し、自分の瞑想状態をジャッジしていない。 数日前の朝、瞑想中に「リモートビューイング」を体験した。 実際の時間にすると数分であったと思うが、ありありと見て
朝のオンライン瞑想会のおかげで、瞑想が習慣になっている。 人間は、放っておくと怠けるようになっていると言われているから、何かしらのきっかけや動機があるのは、有り難い。 昨日は、朝のオンライン瞑想会に加え、東京の赤坂で行われているリアルの瞑想会にも参加した。 昨日のリアルの瞑想会は参加者が42名いて、前回よりも場のエネルギーも強く、より瞑想に適した場に整っていたように感じた。集合意識のなせる業なのだろう。 約25分の瞑想を2回連続して行ったが、1回目と2回目では違う体験と
瞑想に限らないが、私たちは諸行無常の世界にいて、常に変化しているので、同じ空の瞑想の行為をしていても、当然、その瞬間瞬間で、自分が感じ取る感覚は違う。 思考が止まらないときもあるし、心地よく無の状態になれるときもある。 何か問題や悩みを抱えていたり、それらが心に留まっていたりすると、そこに引きずられて、一向に気分が優れないときもある。 以前の私は、心を無にし、静寂さの中にいられないと、正しく瞑想できていないと思っていた。 それは、無の状態になって、本当の自分とともに在れ
私が今まで体験してきた瞑想と空の瞑想の違いを知りたくて、空の瞑想について調べ、自分なりにまとめてみました。 瞑想は大別すると、2種類の方法があります。 呼吸など何かに集中することによって瞑想状態に入っていく“集中系の瞑想”と「空(くう)」のように開放することによって瞑想状態になる“空の瞑想”の2つ。 どちらの方法も、心身の静けさがあります。 身体と身体の中の在る意識が調和している状態とも言えますね。 では、この2つの方法の違いは何でしょうか? それは、静けさの質にあ
私が「空の瞑想」を続けたいと思ったのは “あるがままでOK” というところに惹かれたからだろう。 前回の記事に書いたが、 正しく瞑想できているか不安に思いながら、瞑想していた時期があった。 その体験を無意識にずっと握りしめていて、私は瞑想を正しくやりたい、正しい瞑想体験がしたいとどこかで思っていたように思う。 瞑想に正しい、間違っていると捉える必要はないのに。 本来は、すべてのことにおいて、良いも悪いも、正しいも間違っているもない。 ジャッジは一切いらないのだ。 私は
つい先日、友人に誘われて 村上浩樹先生による「空の瞑想」に出合いました。 実は、昨年の秋頃にも、 オンラインの瞑想会に誘ってもらっていたのですが、 別のコミュニティのオンライン配信と重なっていたため、 そのときは先送りしていました。 今が私のタイミングだったのでしょう。 一言で言うと、 空(宇宙)の存在状態を体感できる心地よい瞑想 でした。 いわゆる「宇宙とつながる瞑想」です。 今の時代だからこそかもしれませんが、 オンラインでも、みんなと一緒に瞑想できる心地よさを感
新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』を劇場で観てきました。 作品を観て、もちろん、映像美を楽しめたし、懐かしい劇中の歌も楽しめたけれど、ストーリーに込められた世界観に鳥肌がたち、心に突き刺さるメッセージを受け取りました。 私がこの作品を通じて受け取ったメッセージは… 誰もが心の中に光と闇があり、 どちらも自分である。 でも、闇を感じてはいけないと思い込み、 素直な気持ちを表現することなく 蓋をして無かったものにしてしまう。 私も、そうやって生きていました。 何故そう
作家のジョンキムさんがClubhouseで、自身のお勧めコントのお話しをしていました。 どんなコントなのと興味が湧き、早速、YouTubeで観ました。 普段、私はあまりコントを観ないので、笑いのツボがピンとこなかったところもあったけど、笑いのツボにはまる人は、たくさんいるのだろう。 コントを観て、世間にはこういう出来事「あるある」だと思った。 同じ職場でこういう社員がいると、イライラするけど、自分から離れたところで起きていると俯瞰して見れると、結構、笑える。 ふと、振り返
今日、ちょっとビックリする体験をしました。 スーパーで、ドライフルーツのデーツを買おうと商品棚を見たら、いつも購入している商品が欠品になっていました。 他のメーカーの商品でもいいかなと思ったけど、やっぱり、いつも購入している商品が買いたいと思い、店員さんに在庫を聞いてみようと、店員さんを探そうと思ったら、定員さんがタイミング良く奥から現れて、こちらに向かって歩いて来ます。 声をかけようと思ったら、こちらが尋ねていないのに、 「こちらの商品の在庫を確認しますね。」 と言い、在
今日、時間が作れたので、『ドライブ・マイ・カー』 を観てきました。 アカデミー賞受賞が決まった後だったこともあり、 平日の昼間の上映であったが、ほぼ満席状態でした。 生きるとは、何か? 愛するとは、何か? 本質的な問いを投げかけられていると感じた。 自分の意思で 見たくないものは、見て見ぬふりをすることはできる 向き合いたくないものは、向き合わなくてもやり過ごすことはできる でも、そこから悲しみが生じているようにも思う。 目の前の相手を知り尽くしていると思っても、 相手
今日、4か月後の7月に北海道に行くための航空券を購入しました。 航空券を購入すると、 そこに行くという"覚悟"ができる感じがします。 今後、キャンセルすることも、変更することもできるけど、 行くと決めた覚悟の現れ。 ただイメージするだけではなく、 その実現に向けて、確実に行動を起こしていく! あまり意識して考えたことがなかったけど、 このプロセスは、すべてにおいて起きていることだ。 どんな願いであっても、 願いを叶える道のりは、同じプロセスを辿る。 旅行に行くプロセ
今日は、本田健とジャネット・アットウッドさんの無料プレゼントセミナー「セルフラブ:自分を癒して世界を癒す」がありました。 既に、以前から仲間とオンラインで集う予定が入っていて、ブッキングしていたので、参加できないと諦めたのですが、本田健さんがLINEライブでセミナーの状況を配信してくれていて、仲間との集いが終わった後に、後半の部分だけですが、見ることができました。 本田健さんの優しさと大きな愛も伝わり、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 後日、YouTubeにアップされる
今日の新聞の記事で、 明日、上野動物園の双子のジャイアントパンダの公開が 再開されることを知りました。 愛くるしい可愛さで、 見る人をホッとさせてくれる ジャイアントパンダたち。 ジャイアントパンダの在り方が、 そうさせてくれるのだろう。 宇宙と調和して、ただそこに在る。 人間のように、 こうあるべきとか そうしなくてはいけないとか 当然、考えてはいない。 いつも、自然体で在る。 私も、外の出来事に反応するのではなく、 心に制限や枠を設けずに、 高次元の自分と調和し
4月は人の出会いと別れの季節でもある。 職場の人事異動で、4月に私が苦手としていた人が異動することになり、内心喜んだが、代わりの人も、また、同じようなタイプの人らしい。 苦手な人が自分の周りに現れるという事象について、友人と話した。 その事象が起こるということは、まだ、自分が自分を許せていない部分があるということを教えてくれている。 人を嫌ってはいけないという聖人君主の話ではなく、 その人が自分に投影してくることに対して、自分が許せていないということだ。 ちょうど昨夜
自分の人生において、後悔は残したくないと思う。 十分に生き切ったと思って、この世を去りたい。 今は、特にそう感じている。 子どもの頃を振り返ってみると、人の意見に従って決めると、他人に責任転嫁しそうなので、いつも、最終的に決めるのは自分と決めていたように思う。 それにしても、 「後悔が残る」とはどういうことだろうか? やりたいことをやらなかった 挑戦しなかった など 行動しなかった、体験しなかったことに対して、 心残りがあるということだろう。 何かしらの理由をつけて