「知る」ことで「見方」が変わる。「見方」が変われば「自分」が変わる。
「きらりんちゃん、おはよー!」
「・・・・・。」
当然、返事はかえってこない。
「きらりんちゃん」は、Bさんの大切な友達。
傍から見れば、セロテープのかたまりだ。
大切な友達だから、いつも一緒。
居なくなれば、大声で泣きながら探し回る。
小学1年生のBさんは自閉症だ。電車とセロテープが大好きで、誕生日や映画の公開日など、日付を覚えるのが得意だった。
一方、気持ちの切り替えがうまくいかず、癇癪を起こしてはよくピーピーと泣いていた。そんなときは、気持ちを落ち着かせるために、体を小さく折り畳み、ランドセルロッカーに入るのだった。
ある日、私が学校から帰る途中、車道を挟んだ道の向こうに、Bさんとお母さんがいた。Bさんは私を見つけると、大手を振りながら、こっちが気恥ずかしくなるくらいの大声で、
「先生、ばいばい!」
と言ってきた。だから、私も、
「ばいばい!」
と手を大きく振り返した。
後日、Bさんのお母さんに話しかけられた。「これまで、知っている人や先生に会っても、無視したり、隠れたりしていたが、自分から大きな声であいさつしたので、すごくびっくりしたし、成長を感じられて嬉しかった。」と。
そんなふうに言ってもらえて、私はとても嬉しい気持ちがした。それと同時に、道で会ってあいさつをするという当たり前のようなことが、Bさんやご家族にとっては当たり前のことではないんだなと思った。
Bさんはとてもピュアでかわいかった。
ただのセロテープのかたまりは、いつしか、私の中でも、「きらりんちゃん」になった。
人と人との距離が縮まっていく実感。
「普通」ってなんだろう?
分からなくなった。
「知る」ことで「見方」が変わる。
「知る」というのは、障害についてはもちろん、「その人を知る」ということである。
「その人を知る」というのは、「その人を理解する」ということである。
「発達障害」と言っても、ひとりひとり、
ゆっくりでも、ちゃんと、成長していく。
すべてを個性だと受け入れたら、
とても愛おしく思えた。
子どもも大人も、
どんなヒトも、
どんなモノも、
「知る」ことで「見方」が変わる。
「見方」が変われば、
「見方」を変えれば、
見えてくるものがある。
新たな気づき、
新たな気持ち。
それはきっと自分を変える。
みなさんはどう思われますか?