「個性」についての考察?いいえ、寝ていても出てくるのが「個性」です。
最近なんだか流行っているのかな?と思うことがあります。個性についての考察。
御多分に洩れず私もかつては「生きるとは何か」「個性とは何か」みたいなことを考えている時期がありました。わ!青春っぽい!
それが今や「生きるのは物理現象」「生きているから生きるのであって“生きることの意味とは”なんて大袈裟なものではない」「個性なんて寝てても出てくる」とかもう……趣もへったくれもない。
このあたりは視点とか考え方でもって違いが出てくる話ですから良いも悪いも正も誤もないと思うのですが、ぼんやりと眺めていて思うのは「個性と強みを混同している人が多いのかな?」ということ。
なので今日はなぜそう感じるのか、私にとっての個性とは何なのか、どういう風に捉え考えているのかをサクっと書いてみます。今迷ったりつまずいたりしている誰かの気づきだったり、メカラウロコぽろっ、ってな感じに作用してくれたらありがたいなー!
個性とはなにか、私の考え方。
私からすると個性とは灰汁みたいなもの。個々人が備えていて無意識にも浮かび上がってくるもの・クセの類。クセが強いかもしれないし弱いかもしれないし、そのクセが属するところは苦味かもしれないし酸味かもしれないし甘味かもしれないし、先天的な要素かもしれないし後天的な要素かもしれない。ただ、とにかくそのもの本来が備えている特徴・特性。
たとえば。複数の人物が同じ型の白いTシャツに同じ型のインディゴのジーンズを合わせたとして、醸す雰囲気は全く別物。その時に出てくる差が個性。そんなイメージ。だから、わざわざ追究・追求したり考察したりするようなものでもない。
強みとはなにか、私の考え方。
前述のような考えに基づいて個性というものを捉えているので、私から見ると近頃の「個性追求ブーム」は厳密に言えば「強み追求ブーム」なのではないかなと思うのです。
「他人と自分との違いから自分の個性を考える方法」というのはそれもはや単に「他人との差別化」のことではないのかしら?と思える。となるとこれは「個性の追求」ではなくて「自身の強みを洗い出すこと」と表現するのがぴったりなのではないのかな?「自分は何者であるかを第三者に示すにあたって必要になる要素」だと納得がいくし、自分の成果や作品を示す時にアピールできる要素・アピールすべきポイントだという主張にも合点がいく。
個性という言葉を使うのは意図的か否か
みんなよく個性という言葉を使うけれど、自身をアピールし売り込み、確立するために必要なのは個性じゃなくて差別化だよね?それって強みだよね?って。このあたりが混同されがちなのがなんだか見ていてスッキリしない原因・理由なのかなと思いました。
これについてはわかりやすくするため、意図的に使っている人と、個性と強み・差別化の差が曖昧もしくは境界線が元々薄くて無意識に使っている人とがいそうですね。なんとなく、その差・違いに翻弄されて本来目的としているところから外れ、遠回りしたり迷子になったりする人もいそうだなと思いましたのでラフながら記した次第。
とはいえ言葉狩りみたいになるのも野暮!お互い意味が通れば問題ではないと思っているけどね!