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ある奴隷少女に起こった出来事

夏休みに入ってから何をするでもなく、家で引きこもるようなひが続き、
何をしようか、何かしなければいけないなあ。
と漠然と考えていたところ
先日投稿したブログ「学生の本分」の内容を思い出し、そうだ!本を読まなければ!と思い立った。

そしてなんとなく本棚からとった作品、その一冊が本作品だった。
読んでみれば、これについて自分の思考を整理すべく、記事をアップしなければ気が済まないほどの名作であった。この時代も土地も遠く離れた日本の現代にも通ずる不朽の真理をつくようなところがあるからだ。
読んだ人読んでいない人に関わらず記事を見ていってくれれば幸いだ。
まずはストーリーラインを紹介し概略に触れたのち、作品が示すものについて振り返って行きたいと思う。

😭個人的な意見を綴っており、本書の正当なコンテクストを汲めていない可能性があることをご容赦ください。


ハイライト

あらすじ

アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身。 幼くして両親と死に別れ、12歳で35歳年上の白人医師の家の奴隷となり性的虐待を受ける。 苦難に満ちた自身の半生を記述した本書が、刊行から約130年後のアメリカでベストセラーに。(新潮社ページより)

リンダが置かれた状況

過酷な奴隷制度の被害者。
奴隷制度といえば、
比較的冒頭よりの部分から、鞭打たれ奴隷の子が死んで行く際、その母が「子が長く生きなくて済んだことに安堵する」ような描写がある。
この酷な描写は氷山の一角に過ぎず、本書でも奴隷制の残虐さは緻密に描かれるものであるが、奴隷制の非道は筆のみで描き出せるようなものでないこともまた確かだ。

リンダはその中でも”特別に”扱われ奴隷主人からの性暴力を受けいていた。
彼女の少女時代には安らぎはなかった。ひとりで楽しい時間を過ごしていても、恐ろしい影は背後から忍び寄ってくるのだ。
また彼女の”特別に”見える扱いを受ける奴隷少女は少なくなかったという。
白人美人は祝福されるが、奴隷美人は生まれた瞬間から暗雲が立ち込める。
目をつけられた黒人奴隷は奴隷主人の汚らわしい目を向けられなければいけなかったのだ。

奴隷所有者

繰り返し述べられる「お前のためを思って」と言う旨の言葉。
自分がリンダを性的に辱めていることは棚に上げ、プランテーションに送り込まず、鞭打ちもしない自分を善良と確信しているような発言だ。
これは彼の中の認知の歪みを体現したものとも考えられる。
彼は彼なりに、奴隷制のもとで奴隷(モノ)を扱うべくして扱っていると認識があったのではないか。

確かに、彼がいかにトキシックでメンヘラで器が小さくどうしようもなく、吐き気を催すような人物像であるかは本書を読めば一目瞭然である。
しかし彼がもし奴隷制の下に生きる人物でなければ、ここまで度がすぎた倫理欠如が認められたかについて疑問の余地がある。
彼が彼女へ燃やした執念は度を越して病的としか言えないものであったが、極端なことを言えば、奴隷制度がなければ彼が素直に聡明で美しい彼女に惹かれる世界線もあったかもしれない。
しかしどちらにせよ、奴隷制度を甘受し、自分の出自に依拠した迫害をして黒人奴隷の人生を狂わせた白人は、到底許されるものではない。

奴隷所有者の夫人

本作品でもよく触れているところが、奴隷所有者の夫人である。
彼女らは初め、裕福な奴隷所有者の元に嫁ぐことが幸せと盲信して嫁ぐ。
しかし嫁いだ先で間も無く心ないことに彼女らは気づくのだ。
プランテーションを営む大量の黒人奴隷と、白人の夫一人しかいないはずの家で、黒人奴隷から肌の白い赤子が生まれると言う不思議な世界線。
何が起きているかわからないはずもなく、この屈辱は彼女らを歪め、嫉妬に狂わせ、奴隷迫害への拍車をかける。

リフレクション

差別の根幹にあるものは何か

差別の根幹にあるものと一つとして挙げられることが、二項対立における力の不当な行使を行うことだ。
これは白人・黒人間だけの話ではない。
国家・国民。男性・女性。若者・老人。法律・倫理。
様々な事情における力の不当な行使は普遍的に行われる。

白人に奴隷として酷使された黒人は、被害者であった。
白い黒人の赤子を見る奴隷所有者の夫人も、被害者であった。
国家権力の名のもとに制定された制度に人生を狂わされた国民もまた、被害者であった。

そしてこの力の行使は現代も当たり前に行われ、私たちは決して無視できないモノである。

人はいっぺん制度によって自分が有利な状況に置かれると、自分のいいようにそれを利用する身勝手な側面を持つ。
しかしそもそも制度を作る法は人間が作った不完全なものである。不完全なものをどこまで盾にとっていいものか。

過去より法制度の議論が盛んであり、憲法のもとで国家権力の暴走が抑制されているとは言え、法はそもそも倫理の最低限足りえて、国家は私たちに不当に力を行使していないものか。

私たちの日々の判断は不当な力の行使になっていないか。

それらに着目しなければ、奴隷史には及ばずとも、私たちも悲惨な未来を見ることになるだろう。
私たちは、奴隷にも、奴隷所有者になりえるのだから。
そんな不朽の真理まで突いてくれるのがこの作品だ。

感想

今回私は堀越氏訳の日本語verを手にとったのだが、語訳、訳者後書き、野田あい氏の描いた表紙含め全てが素晴らしい作品であった。

(ムキー!最後佐藤優氏による解説だけは文句を言いたい!ふざけてるだろなんだい!これは。「解説」と記しておいて、意味のある文章は全体の1/10にも満たない。誰でも読めばわかるあらすじを書き連ねて読者を馬鹿にしているのか?さもなければ佐藤氏がーー以下略。)

本書を一気読みした後、余韻や思考に浸りながら読んだ後書きに記された堀越氏の「偉人ならざるものの生きる意味は何か。」という言葉は私の心に響いた。
私たちは皆、先ほども述べたように現代社会が合意した価値観に従う奴隷になりえる脆弱な立場を持ちえる。奴隷にも、奴隷所有者にもならないために、その価値観に疑問を持つことは忘れてはいけないし、これは生きていく中でも指針になるモノだ。
本作品は過去の過ちだけれなく人間や人間社会の根幹にあるものを見つけることができる作品だった。
大学にいる最中にこの作品に出会えてよかった。

しかし、本を読むのはいいな。
日々悩んでいる将来や人間関係、社会を見る方法など、道標を示してくれる。
素晴らしい読書体験はそれ自体が自分のお友達になって、揺るがない言葉を自分に投げかけてくれる。
また文豪も私のお友達となって、いろんなことを教えて、アドバイスをしてくれる。
名作を読むのは本当にいいものだ。

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