「モチベーションでアウトプットが左右されるようではプロじゃない」ついこの間、メンターから上記を言われた。 もちろんそうだとうんうんと頷く。 ただ、そうではないのだという違和感が頭を擡げる。私に俗に言うプロ意識がないわけではない。(と思っている。) 顧客を含めたステークホルダーの信頼を毀損する事は、ビジネスというゲームにおいて死を意味することも分かっている。 もちろん、信頼を得るのは最低限で顧客の期待値を超え続けなければならないことも承知の助である。 ただ、とかく憂鬱なのだ…!
人とのお付き合いはとても不思議なもので、自分のプラスになったりマイナスになったりする。 もちろん人付き合いにも濃淡があるが、私は他人からの影響を受けやすいので人付き合いもきちんと考えなければならない。 そんなことを思いつつ、20数年で得た人との深淵を記録することにする。 「僕はPATEK PHILIPPEなんてクソだと言ってる君が見たい。」 とある上長に言われた言葉だ。 今ある環境や恵まれた人間関係に対するとてつもない感謝とそれらを失ってしまうのではないかという恐怖で無意
娼婦と思われていた女性が再評価されるという事態がここ最近取り沙汰されていたらしい。 聖母マリアの母性とマグダラのマリアの女性性は二面性であると同時に、キリスト教(特にカトリックにとって)にとっては有意な文脈として捉えられていたのだと考えるとなかなか面白い。 しかも!今の聖書を認めない派閥(謂わゆる反第三カルタゴ教会会議派)の貢献あってのことを考えるとなかなかキリスト教という共同体も面白いなぁと感じる。 上記のように、再評価という流れはファッションや音楽においてはよくあるが、
就活を終え、人生の方向性が見えてきた。 自分がした選択にはポジティブな要素もネガティブな要素も混在している。 ポジネガを考える際は事実ベースで考えなければならない。特に語る人間のバイアスを取り除くことがとても大切な要素であることは間違いない。 ただ、ほぼ万人に当てはまるファクトベースの見解がある。しかもそれはほぼ万人が語る不思議な主張だ。 「なるべく大きな企業に行け!」 これから就活を始める人には、声を大にしていたい。なるべく大企業に就職するべきだ。それは以降に記述する
現代人はとにかく多忙だ。 みんな忙しい。ただ、多忙の尺度は人それぞれであって絶対的な基準はない。 しかし、最近、奇妙な傾向があることを確信した。それは多忙を極める人ほど返信が早いということ。加えて、本当に多忙である人は見かけによらぬものであることだ。 私の周りでは本当に”忙しい”人間が2名ほどいる。(恐ろしいことに企業の規模の違いはあれど、どちらも執行役員。1番多忙な人間はそうゆう層なのかもしれない。N=2だけど。) どちらも返信は恐ろしく早いし、とんでもなく仕事をしている
人は”何者か”にならなくてはならない。 人が学歴や企業名に拘るのも、周りが結婚してるからと焦りはじめるのも、きっと自分の”分かりやすい名”が欲しいのだろう。 アイデンティティが云々…と難しい話はせず、散歩を”散歩を”語りたい。(散歩こそが何者でもない者の特権だ!) 散歩こそが何者でもない者の特権だ隈研吾の著者で散歩の重要性をいたく強調した一文がある。(書籍名はすっかり忘れてしまったのだが) 主張はとても簡単で、皆散歩しなさいというもの。それもそのはず。家という箱から電車とい
貧しさについて考えてみる。 ありがたいことに私の出自はさほど貧乏でもなければ特別裕福でもない。所謂中流階級に生まれた。母親が1億円弱の借金を背負っていることを除けば、ごくごく普通の家庭だろう。 それが故に、貧困家庭も上流階級の内情も知る由はないのだが、いろいろ話を聞いていくと様々なものが垣間見えてきた。本文ではそれらの気づきを記録したい。 モノ消費とコト消費上記の引用にもあるように、モノ消費が主流だったころは「貧しさ」=「ハード(服等)の欠如」であった。つまり、モノ消費が
◯手前味噌で恐縮ですが └自慢話の前に用いる ◯願ってもないお話です └自分の乗り気をアピール際に用いる ◯恐れ入りますが(すいません×) └ワンランク上の敬語、 ◯何卒、あしからずご了承ください └飛び込みなど一過性の相手限定 ◯不調法でして └体質的にお酒が飲めない時 ◯ご親切にご注意いただきましてありがとうございます └クレームや嫌な指摘に答える時に ◯おかげさまで助かりました └多用したい ◯早速拝読いたします └何か読むものを贈られた時のお礼の言葉
教育業界にアルバイトとして参画して、早3年となる。正確に言うのならば、5月末日入社であるので35ヶ月と1日である。 この3年間、いろいろな意味で悩み迷走した期間だった。様々な業界を渡り続けた結果、残ったのは中途半端な社会人意識と消しされぬほどの手痛い失敗。それはタブーを犯したからなのかもしれない。今後個人として生きていく上では、やはりここに向き合わなければならない日も来るのだろう。その前に、この半人前意識を何とかしなければならないと最近うすうす感づいた。 半人前意識とは半
自分とは何者なのだろうか? めんどくさいので、ずっと避けてきた、この問いから向き合わなければいけない、そんなタイミングが近づいてきたような気がする。