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35ヶ月半人前、前を向く

教育業界にアルバイトとして参画して、早3年となる。正確に言うのならば、5月末日入社であるので35ヶ月と1日である。

この3年間、いろいろな意味で悩み迷走した期間だった。様々な業界を渡り続けた結果、残ったのは中途半端な社会人意識と消しされぬほどの手痛い失敗。それはタブーを犯したからなのかもしれない。今後個人として生きていく上では、やはりここに向き合わなければならない日も来るのだろう。その前に、この半人前意識を何とかしなければならないと最近うすうす感づいた。

半人前意識とは

半人前意識を定義付けるとするならば、権利と責任の乖離になるだろう。責任と2字で表すととても簡単だ。責任という言葉を使うのもどうなのかと思うことがある。今頭の中で考えている思考が言語化というアウトプットを通してとても軽いものになってしまっているという感じもする。実際、教科書には責任の所在を明らかにするなどの抽象的な文章が多く存在するし、何より使い心地が良いのだ。責任は。
そのため、定義付けを極めて抽象的な言葉で行ってから、具体化しないと言葉自体がとても薄くなってしまう。

では、責任を具体化するとどうなるのか。
ここでは、職務や報酬によって変化する責任ではなく、社会人として求められるものを想定したい。(この場合は汎用的な社会人ではなく、自分が理想とするべき像のような意味で社会人を用いている)

①即レスの徹底。
②自己顕示で仕事をしない。
③小さなことにくよくよする。

この3つである。
具体度に差はあれど、これが私がイメージする社会人の責任である。これがなければ、社会人としての信用を得ることができない。ここでは権利を信用と訳すことにする。詳しく見ていこう。

①即レスの徹底。
よく言うことだが、やはり怠ってしまう。
昔、同期が取引先から午前中に受け取ったメールは午前中に返すのが筋であるとクレームを受けていたのを思い出した。今我々は学生であるしとふてくされていたが、最近YouTubeでこんな動画を見てはっとしたのである。

よく年収チャンネルというチャンネルは見るが、別にファンなわけではなく、何なら少し下品で見るに耐えないと斜に構えていた位だったが、まさに自分を見ているようで、かなり内省を促す動画だった。(過去の自分と過去の自分を引きずる自分にとって)
やはり特筆するべきは、5 .6時間返信をしない、これを信用に値しないと評価する一般的なビジネス社会を垣間見たということだろう。
今、自分が属している組織において、5時間返信をしなくても怒られるという事は無い。もちろんクビにされるということも。実際、上長とのコミュニケーションにおいても1日返信が返ってこないということもある。
だからいいと錯覚していた。
これが本当に良くない。視野を広げ続けなくてはならない理由に、組織以上に向上することができないということが挙げられるのもよくわかる気がする。成長という言葉は好きじゃないので。向上という言葉を用いたが、成長に置き換えても良い。
とにかく、返信しなくても、許されるというのは良くないカルチャー。カルチャーを否定する気は到底ないが、この悪い癖は絶対に身につけてはならない。見た瞬間に返す。これを徹底したい。

②自己顕示で仕事をしない。
まだ自分の中で落とし込めていない部分ではあるが、他人の評価を気にして仕事をすることはパトロンがいる港区女子上がりのサロン経営者のようなものだと思う。
自戒ではあるがテレアポをした時に感じたあの惨めな感覚はきっと自己顕示で仕事をしているからだ。本当に結果が必要な時、自己顕示が入り込む隙はない。常に結果が求められる。そして、その結果を自分自身が納得した上で自分自身も求めている、そんな関係でなければならない。そうでなければ、報酬をいただく業務ではない。この3年間、やってきた報酬をいただく作業の中で仕事と呼べるのはいくつあっただろうか。猛省したい。

③小さなことにくよくよする。
何かよくわからぬモヤモヤ感を感じていた時に、読んだ本に、幻冬舎の見城さんとサイバーエージェントの藤田さんの共著である「憂鬱でなければ、仕事じゃない」というものがあった。

もともと自己啓発大好きっ子であった私は様々な自己啓発本に手を出したが、何も変わらず。自己啓発に対しても業務に対しても斜に構えるようになった。そんな中手にした本であったので、どうせ今回もというような思いで読み進めたが、どうせ今回もは起こらなかった。
本書に小さなことにくよくよしろよという章がある。簡単に言えば、小さな約束事を守れない人間に、大きな約束事も守れるわけがない。小さな約束ほどきちんと守りなさい。そういったような内容だ。小さな約束を反故にしてきた私にとってとてもドストライクな説教であった。
(1年前に本書を手に取り、1週間前に再度読み直した。読み直したのは見城さんがおすすめ欄に上がるようになったことであるので、Googleのアルゴリズムには大変感謝であるのだが)
小さな遅刻をしない、小さな嘘をつかない、小さな約束を守る。小さなを大事にしたい。

責任はわかったが権利とは

半人前意識の定義で責任について述べたが、権利についても述べておかなければ、対立構造として気持ちが悪い。ここは解像度が低く正直わかっていないところである。権利とはまだわからぬ。これが答えなのだが、おおよそ予想がついてるものが1つある。おそらく、社会人の権利とは信用というものではないだろうか。社会人として、可視化可能な数値として年収というものがある。これは誰でも見れるので、評価はとても簡単だ。ただ、信用と言うものは数値化することができない。しかし絶対的に存在する。こういった可視化できないがとても重要と思われるものを人は権利と濁してきた。先人たちの方法を踏襲しよう。(勘違いが起こるとすれば、従来の権利は生まれながら与えられたものであるのに対して、ここで定義した権利は責任をきちんと果たしたものにしか享受されないことだ)

半人前意識とは、権利と責任の乖離である。
責任とは即レスを徹底すること、自己顕示で仕事をしないこと、小さなことにくよくよすることの3つ。権利とは社会人としての信用である。

要約

権利と責任の乖離がなくなった時、つまり自分が保有していると思いこんでいる権利の総量と成し遂げた責任の濃淡が一致した時、一人前になれるのではないだろうか。
思うに、これはハードスキルでもなければ、ソフトスキルでもない。一介の社会人としてあるべき姿である。あゝ、早く一人前になりたい。

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