マグダラのマリア
娼婦と思われていた女性が再評価されるという事態がここ最近取り沙汰されていたらしい。
聖母マリアの母性とマグダラのマリアの女性性は二面性であると同時に、キリスト教(特にカトリックにとって)にとっては有意な文脈として捉えられていたのだと考えるとなかなか面白い。
しかも!今の聖書を認めない派閥(謂わゆる反第三カルタゴ教会会議派)の貢献あってのことを考えるとなかなかキリスト教という共同体も面白いなぁと感じる。
上記のように、再評価という流れはファッションや音楽においてはよくあるが、人に関して言うと機会はかなり限定的であるように思う。
他人に対する印象やその人への第一想起は固定化するとなかなか変えることが出来ない。
(特に私はかなり偏った印象を他人に押し付けがちであるので、)他人に対して無意識に一元的な視点を向けてしまっている可能性もある。
タイミングによってもこの視点は異なるのだろう。
直近はかなり余裕がないので、他人へ向ける視点も固執したものになりがちである。
そのため、このような機会を通じて他人を再評価、つまり他人への視点を再構築したい。
まさに、マグダラのマリアのように他人の悪いイメージを払拭できれば自分自身が少し生きやすくなるのかもしれない。