自分の苦しみなんて他人にはどうでもいいこと。





今回投稿する内容はかなり長文になっています。書きたいことが沢山ありすぎて要約してもなかなかまとめられない結果長くなってしまいました。しかし書かずには居られませんでした。今起きていることに関して自分が経験したことや本を読んでとても考えさせられたことの目白押しでした。何卒読んでもらえたら幸いです。


近々、医者兼作家でもある和田秀樹先生のお書きになった『人と比べない生き方』(ソフトバンク新書)を読みました。他人と自分との比較する行為や考えについて精神面や行動について医者の観点で書かれている内容だが読みやすい啓発書として熟読し、自分が他人と比べることがどういった意味合いがあるのかを考える様になった。先生自身が学校現場で見たスクールカーストの実態や精神科医として現場で様々な患者との検診を元に他人と自分の比較について分かりやすく書かれている著作でした。精神科医の先生がお書きになった新書としては読みやすい内容でスラスラと読めました。本の中で自分の価値観の考え方や他人を見誤り過ぎていることなど書かれており、言われてみると簡単な内容なのだが実践するのはとても難しい、いや不可能と和田先生もおっしゃるほど他者との比較は人間本来に染みついているものだと書いてありました。


そんな折、立て続けに芸能人の自死に端を発して一般人の自死についてニュースで目にするようになった。他人から見れば順風満帆に見えて実は当人は深い闇を抱えてある日突然自ら命を絶つ行為について特集していました。その中で自死した方の周囲の人間が追悼としてコメントをしている事に和田先生の書籍を読んでからはものすごい不快さを感じた。何故なら生きている内に当人の悩みや不満を解消、悩みを和らげなければ意味が無い、死んでから「あいつは良かった」とか「いい奴でした」なんて言葉は死んだ本人も周囲も聞きたくない。死んでからでは遅い、生きている内にウザいほど何でもかんでも構ってあげることが一番の特効薬なんだと。当たり前だが誰しも自分の抱えている悩みなど他人に気軽に吐露しない、いや出来ない。それは相談することで相手を自分のことで余計な心配させたくないという配慮だったり、相談しても真に受けてもらえず、ただ聞き流されてどうでもいいと一蹴されてしまう怖さだったり、相談しても一切解決しそうに無いことだったり、と理由はあれこれあるが悩みなんて軽々しく言うことが出来ないのが現状なんです。他人は自身の事で一杯一杯なのに、そこに自分の悩みなど言ってもどうせ真に受けない、なあなあで終わると思い込んでしまう。そうなると相談することが出来なくなってしまい、自身で抱え込み最悪自傷行為に向かってしまう。それは精神的な問題が大きく蝕んでいる証拠なのだが、抱え込んでいる人間はそうした面を一切隠してしまう。それも他人への配慮だったり、注目してもらえないことへの諦めなんだろうと思う。周囲の人間はそんな不調も全く見えていないから順風満帆の様に見えているのだろうが当人はボロボロなんです。悩みも言えないんです。しんどいんです。それでも頑張らないといけないんです。そして気付いたら自死してしまった。起きるべくして起きてしまったんです。それを死んでから悲しんでも遅いんです。


ふとそんなことを考えていると、自身の中学校時代を思い出した。

中学2年生の時、同じクラスの近い席に座っていた柔道部に所属していたある女子に徐ろに手首を見せられたことがあった。そこには無数のリストカットの跡がおびただしくあったのを覚えている。普段体格のいいその子はクラスでもご意見番として誰彼構わず堂々と意見していた子だったからそのギャップに正直怖さを感じた。私が中学校時代、まだSNSなんて無かったものの、ネットの掲示板が出来はじめた頃だった。そして中学校専用の掲示板に密かにその子が匿名で同級生の悪口を書き込みしているのではと噂になった。無論確証は無いが、そんな噂が原因で彼女は女子特有の集団から避けられていた様だった。いつもは男子にも強く物言いが出来るその子が噂という実体の無いもののが原因で何度もリストカットをしてしまった。暴力や怪我されるいじめの痛みよりも言葉のいじめの痛みの方が遙かに相手を苦しめさせることを私は目の当たりにした。私は席も近いことや比較的温厚だったこともあり、気を許してくれたのかいつもは隠しているリストカットの傷を見せてくれた。しかし自分にはかける言葉も対応策もどうすることも出来ないし気軽な励ましなんてしてはいけないと感じた。ここで何か気に触ることを言えばますます彼女を苦しめさせてしまうと思ったから。だから相談される側からすれば相手の重い話に対してたった相づち一つも苦しめるきっかけになりかねない。そうなると相談される側も苦痛を伴うことになってしまう。だから相談する側は配慮して気軽に言えないと感じてしまうのだろう。それが積み重ね抱えきれなくなった瞬間自死へと向かうのでしょう。思えば有名な作家は自死を選んだ人が多い。芥川龍之介、太宰治、有島武郎、川端康成、三島由紀夫、火野葦平etc。作家は昼夜と問わず、ぶっ続けで頭をフル回転して作品を創作し書いている。そうした行く末に頭の中で善悪や倫理が麻痺してしまい大きく欠落して生きることへの意味を深く追求し、なれの果てに自死を選ぶのではと推測した。彼らも作家のプライドからか悩みや考えなど言えず抱え込んだ結果自死を選んだのだろうか。それとも自死が一番良いと考えたのだろうか。今となっては分からない。


当たり前だが自分の心の苦しさは自分しか分からない。また自分も他人の苦しみも変わってあげられないし、仮に苦しみを移せたとしても変わりたくもない。だって自分のことで一杯一杯だし負うリスクを考えれば縁もゆかりもないまたは薄い他人の苦しみなんて背負うだけ理不尽なんだと。

正直興味の無い人間のメンタル状態なんてどうでもいい。最悪その人が自死してもさほどショックでもないし、ふーんと受け流して明日には忘れているレベルの事象でしかない。


多くの人は自分のことで一杯一杯だという割に有名人や芸能人の自死については過敏なほど反応する。何で死んだのかとか誰が原因なのかとか、誰が葬式に参列したのかとか。そのくせ身の回りで興味の無い人間が自死してもそうなんだと切り捨て案内が届いても葬儀にすら参列しない。死んだことすら当人には興味が無いのだ。

自分さえよければ他人の命なんてどうでもいい。こんなことがまかり通ることで多くの人間が思い苦しみ、心を病に蝕み、自死を選んでしまう。しかし興味の無い人間からすれば、そいつが死んでもどうでもいい他人事。死んだという認識もいい加減にして葬儀も墓参りも行かない。死んですら支えてあげる気も無いのだ。死んでしまっては救いも無いのだが、弔う気も持ち合わせていない。見殺してしまってたのだ。他人に無関心だからこそ自死を増長させてしまっている。それを防ぐ有効な手立てはないのだろうか。

本当の友達がいれば病気になっても救ってくれるのだろうが、本当の友達が居ない孤独な人間はどうやってメンタルを整えればいいのだろうか。無料で電話して自殺を防ぐサービスが前から利用されているが大変失礼千万で申し上げるが、相談して解決する悩みならば早急に相談する。それが叶わない、相談しても解決しない悩みだから誰にも言えないのだ。いつまでも解決しないまま、苦しみは積もりに積もりそしてある日支えきれなくなり、最悪な展開となる。


個人的な感想だが、自死するときは衝動的です。

つまりいきなり自死してしまうんです。思い切りに前兆無しに死んでしまうんです。恐ろしい話です。だから突然自ら命を絶つことになってしまいます。そんなことしても全く誰も得しないですよ。当人も周囲の人間も悲しくなるだけ。何も残りません。果たして死んで楽になれるのでしょうか。死んだら何か起こるのでしょうか。


かく言う自分もかつてはどうしようもないほど絶望していた時期があります。しかし他人から見れば自分のことなど大して関心も興味も無いと知ると気持ちが楽になった反面自身に対して興味が無いということは困ったことがあっても真剣に取り合ってもらえないことを自覚した。そうなると自分で解決策を講じないといけない。しかし一人ではどうしようもないことだから悩んでいたんです。自分も人がよくしばしば他人の相談に乗り、一緒に悩みについて考えていましたが、他人のことで考えすぎて自分をダメにするなんて一番もったいない。自死をしないためには自分で考え方や気の持ちようを変える以外方法がありません。生きるか死ぬかを決めるのは自分しかいません。


決して綺麗事ではなく自死は決して許されない。死んでも何も解決もしない、残された家族が自分の骸を片付けると思えば自死がどれだけ親不孝なことか痛いほど考えたくないほど分かる。しかしそれでも自死を選ぶのは止むに止まれぬことがあったのだろうか。自分のこと家族のこと近しい人のこと、生きていれば悩みは尽きないし楽しいことより辛いことしんどいことのほうが倍以上ある。しかし生きることは義務、死ぬときは自らの判断では無く運命に任せるしか選択肢は無いと思う。


最後にインドのとある格言をご紹介します。

日本では他人に迷惑をかけないことが一番大切なこととされていますが、インドではその真逆に他人に迷惑をかけてもよい。その代わりに他人が何かで困っていたら手を差し伸べ助けまた許すという慈悲を持ちなさいと教わるそうです。日本は他人のトラブルに対して当事者以外は不介入する性質があります。当事者同士でトラブルは解決すべきだという考えです。しかしインドはトラブルになっても慈悲の心で許すことを大切にして柔和にトラブル解決を図ります。無論全てのインド人が心の広い人ばかりではないだろうし、建前で言っているだけと思われるかもしれません。しかしこの格言は心に豊かさを与え、自身の悩みに対して一人で抱え込むことも少しはほぐれるかもしれません。


総括して命を大切にしてください。一度だけの人生。悲しいことよりも楽しいこと。暗いことばかりの中で楽しみを探す人生にしたい。

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