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近くて遠い、北京に触れる。『北京の台所、東京の台所』
あぁ、お腹が空いた。
読んでいたらなんだか、餃子が食べたくなってしまった。
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『北京の台所、東京の台所』は、ウー・ウェンさんが生まれ育った時代の北京の社会背景や食文化、学世知時代のこと、やがて日本人男性と出会い、結婚を機に日本で暮らすようになり、料理家として活躍するまでの記録が(美味しそうなレシピとともに)綴られている。
歴史的な関わりが深く、衣食住をはじめ色々な文化の影響を受けているにもかかわらず、とても遠い。
わたしにとって中国は、そんな場所だ。
だから、ごく普通の北京の一般家庭の様子を垣間見ることができたようで、驚きと発見が詰まった一冊だった。
お祖母様が纏足だったこと、毛沢東や紅衛兵のこと…そうか、教科書でしか読んだことがないけれど、実はすごく最近の出来事だったんだ、とハッとする。
興味深かったのは、カレイの煮魚のエピソード。
ある日、夫に「カレイの煮魚が食べたい」と言われました。
北京で魚を煮るというのはスープ煮のこと。あっさりした薄味のスープのなかに、骨と身がほろほろとくずれるくらい煮込んだものです。(中略)
わたしは家にあった、いちばん大きい鍋にたっぷりと水をはり、カレイ二匹としょうがを入れてしょうゆを少し加え、火にかけてことこと煮込みました。中国のスープは味が薄いので、本当に淡白です。
そして夕食。夫は大きなスープ皿に盛られたカレイのスープ煮に、しばしあ然としている様子でした。それでも一応、一口、二口食べたあと、見守る私に、日本の煮魚というものがどういうものなのかを、やさしく、かんで含めるように説明してくれました。でも、目は完全に点になっていましたね、あのときは。
甘辛い日本風の煮魚を想像していた“夫”さんの呆気に取られている様子が目に浮かぶよう。
その後も何度も煮魚をリクエストし続ける彼のために、料理家の野口日出子さんに教わってまで日本風の煮魚をマスターしたというウーさんの愛情と、負けず嫌い(だそうです、本書によると)っぷりも素敵だなぁと思う。
北京風のカレイのスープ煮だって、美味しそう。
これはレシピも書かれているから、ぜひ作ってみたいところ。
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わたしの中で、ウー・ウェンさんといえば餃子をはじめとする粉ものというイメージがあるのだけれど、粉を捏ねていると気持ちが落ち着くのだそう。
それはなんとなく、わかるような気がする。
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“食”は人のいのちと、こころをつなぐ。国も性別も年齢も超えて。
そんな当たり前のことに、改めて気付かされる。
ひとり暮らしが長くなるほど、他人と関わることが億劫になってきたなぁと感じるのだけれど、それでもやっぱり、ときどきだれかと食べるごはんは美味しいもの。
少しキッチンが広い部屋に引越したことだし、誰かを呼んで生地から餃子を作ってみようかしら。