カサイミノリ

“聞く&書く“を生業としています。お仕事はozmallや日本財団ジャーナル、CREA WEB、陶業時報など。noteは趣味のメモとしてゆるーく活用中。 https://instagram.com/petit_bonheur_d_mino

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最近の記事

かつてティーンだったわたしへ。『彼女たちの場合は』

子どもたちが主人公の本や映画に触れると、いつの間にか“保護者”の視点で観ている自分に気づくことがある。 例えば『ミーナの行進』(小川洋子)とか、リンドグレーンの『ロッタちゃん』シリーズとか、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学)とかもそう。 どれも主人公がとても魅力的で、グイグイ惹きつけられる一方で、母親の視点でハラハラしている自分もいるのだ。 『彼女たちの場合は』(江國香織)は、久しぶりに主人公の視点で読み切った1冊。(厳密には、上下巻なので2冊なんだけれども)

    • さりげなく、いなくなれたらそれがいちばん幸せ。『ミトンとふびん』

      もしもわたしがいま、この場で召されるとしたら、心残りは何だろう。 ふと、そんなことを考える。 吉本ばななの『ミトンとふびん』に登場する主人公はみんな、家族を亡くしている。 お母さんだったり、おばあちゃんだったり、弟だったり、親友だったり。 心のどこかにぽっかり空いた穴を無理に埋めるのではなく、金沢や台北、ヘルシンキなど、日常から少しだけ離れた場所で、湯治のようにじんわり癒していく物語を集めた短編集。(と私は思っている) 私が好きだった『カロンテ』は、しじみという女性がロー

      • アキと、俺と、わたしたちの話。『夜が明ける』

        読みながら苦しくて、苦しくて、でも途中でやめることができなくて、一気に読んでしまった『夜が明ける』。 昭和終盤に生まれ、「女の子なんだから」「長女なんだから」を皮切りに、さまざまな“昭和”の価値観の中で育った私は、最近になって「あっ、これって変なことだったんだ」と気づくことがある。 小学生の頃、「一重はかわいくないから」と母にアイプチをされていた時期がある、とか。(まぶたがひっぱられて痛くて、いやだったなぁ) 同じことをされている少女のニュースを読んで「あっ、わたしと同じ

        • 『福田村事件』と、『月』と。

          「無知」と「思い込み」ほど、恐ろしいものはない。 福田村事件のことは、100年が経ってしまった昨年まで、知らなかった。 自分が生まれた日でもある9月6日、何気なく聴いていたラジオから流れた「今日は何の日」のコーナーで知り、あまりの惨劇に言葉を失った。 それで、『福田村事件』をどうしても観ておきたいと思ったのだ。 1923年9月6日。関東大震災発生の5日後、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)の100人以上の村民たちにより、香川から訪れた薬売り行商人15名が襲われ、幼児や妊

          サンタクロースになった日。(ブックサンタ2023)

          本はいつでも友だちだった。 ひとりでお留守番をしているとき。 眼科で順番を待っているとき。 風邪を引いて学校を休んだとき。 休み時間。 本はいつでもわたしの友だちで、いつでも味方だった。 あの頃、教育方針(と貧しさ)を理由にアニメや漫画、ゲームが禁止で哀しい思いをしていたけれど、その分たくさんの本に出会えたんだ。 時間に支配されて、大切なものが見えなくなってしまったオトナたちを救うために、ひとりで向き合う勇敢な『モモ』に、何度助けられただろう。 『西の魔女が死んだ』

          サンタクロースになった日。(ブックサンタ2023)

          “すべての道はローマに通ずる”らしい

          過日、上野の東京都美術館で開催中の「永遠の都 ローマ展」へ。 世界最古の美術館とされるローマ「カピトリーノ美術館の、所蔵品を中心に約70点の彫刻、絵画、版画など幅広い作品を展示する同展。 2023年は、日本の明治政府が派遣した「岩倉使節団」がカピトリーノ美術館を訪ねて150年目の節目でもあるそう。 …と、ここまで説明を読んで岩倉使節団ってなんだっけ…?と慌てて検索。 岩倉具視をリーダーに、木戸孝允やら伊藤博文やら、幕末から明治期に活躍した107名で構成され、不平等条約改正

          “すべての道はローマに通ずる”らしい

          戦火にある日常。「ガザの美容室」

          美容室でキャミソール姿の中年女性が、おそらく友人と電話しているシーンから始まる『ガザの美容室』。 美容室でやたら薄着だな(後でワックス脱毛に備えていたことがわかる)とは思うものの、初めはそれが特別な光景であることに気づかなかった。 イスラム圏の女性がヒジャブを外し、裸に近いような格好で過ごせるのは、そこが女性しかいない美容室だからだ。 離婚調停中の女性に、結婚式のセットアップにやってきた女性とその母と義母、臨月の女性にプロポーズされたばかりのその妹、いわゆる“クズ男”と別

          戦火にある日常。「ガザの美容室」

          86歳は「おじいちゃん」ではないと改めて痛感した日。『横尾忠則 寒山百得』展

          過日、「東京国立博物館 表慶館」で開催中の「横尾忠則 寒山百得(かんざんひゃくとく)」展へ。 中国・唐の時代に生きた伝説的なふたりの詩僧、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)を独自の解釈で再構築した102点(それもすべて新作、書き下ろし!)を集めた展覧会。 それぞれの絵には日付が書かれていて、よく見ると翌日だったり、3日おきだったり。 一体、どんなスピードで筆を動かしているんだろう。 次々に違う作品のイメージが湧いてくるなんて、頭の中はどんなことになってるんだろう。

          86歳は「おじいちゃん」ではないと改めて痛感した日。『横尾忠則 寒山百得』展

          写真ってなんだろう。ソール・ライターと、平間至と。

          過日、渋谷ヒカリエホールで同時開催されていた「ソール・ライター展 ニューヨークの色」と、「平間至展 写真のうた」へ。 慌ただしくしていたり、体調が思わしくなかったりで、展覧会へ行くのは久しぶり。 プロのカメラマンにもファンが多い(印象がある)ソール・ライター。 余白が多くて、観る者の想像力を柔らかく刺激してくる。 ライターの写真を見るのは初めてではないけれど、いつも「そんな角度から、世界を見たことがなかった」とハッとする。 「ほら、ここから覗いてみて。こっちも。美しい

          写真ってなんだろう。ソール・ライターと、平間至と。

          スキップしながら、歌いたくなったよ。「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」

          過日、横須賀美術館で開催中の「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」へ。 日本はもちろん、世界的にも人気が高い絵本作家・荒井良二さんの新作、過去作約300点を集めた企画展。 荒井良二さんのダイナミックなタッチは以前から大好きで、始まる前から行きたいなー、でも横須賀は遠いから会期中に行けるかなー…とぼんやり考えていたのだけれど 少し前に満島ひかりさんのラジオ番組「ヴォイスミツシマ」にゲスト出演されていた回を聴いて、これはもう絶対に行き

          スキップしながら、歌いたくなったよ。「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」

          悦びに満ちたブルー。「デイヴィッド・ホックニー展」

          過日、東京都現代美術館で開催中の「デイヴィッド・ホックニー展」へ。 現在86歳、60年以上に渡り精力的に活動するアーティスト、デイヴィッド・ホックニーの、日本では27年ぶりとなる大きな個展。 総展示数は、200点余り。 そのテの話にはとても疎いのだけれど、彼の作品はいま最も高額で取引されているとかいないとか。 ひとは、どこにそんなにも心を掴まれるのだろう、と単純に興味があった。 まだ体調が安定していなかったこの日(というか、暑すぎるせいだと思う)、ぼんやりした頭で館内を

          悦びに満ちたブルー。「デイヴィッド・ホックニー展」

          オジサンは癒し。「しりあがり寿展」

          過日、新宿伊勢丹の本館6階のギャラリーで開催されていた『しりあがり寿展[オヤジ全開 -OYAJI FULL OPEN-]』へ。 引越しの慌ただしさやら、熱中症やらが重なり、心身ともにぐったり。 うまく眠れなかったり、本を読む気力もなく、今年は夏バテが早いな、と思っていた今日この頃。 何気なく足を運んだしりあがり寿さんの個展。 絵を前に、自分でも触れられない内側、芯の部分を癒される感覚があって、自分でも驚いた。 初めて見たわけではないはずだけれど、こんなに癒されたこと

          オジサンは癒し。「しりあがり寿展」

          近くて遠い、北京に触れる。『北京の台所、東京の台所』

          あぁ、お腹が空いた。 読んでいたらなんだか、餃子が食べたくなってしまった。 『北京の台所、東京の台所』は、ウー・ウェンさんが生まれ育った時代の北京の社会背景や食文化、学世知時代のこと、やがて日本人男性と出会い、結婚を機に日本で暮らすようになり、料理家として活躍するまでの記録が(美味しそうなレシピとともに)綴られている。 歴史的な関わりが深く、衣食住をはじめ色々な文化の影響を受けているにもかかわらず、とても遠い。 わたしにとって中国は、そんな場所だ。 だから、ごく普通の北京

          近くて遠い、北京に触れる。『北京の台所、東京の台所』

          まだ、言葉にならない。「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

          過日、東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」へ。 スペインの著名な建築家アントニ・ガウディ。 その創造の源泉と、”未完の聖堂”と呼ばれ、いよいよ完成間近とされているサグラダ・ファミリアに焦点を絞った展覧会。 実は観に行ってから随分経つのだけれど、興奮冷めやらぬというか、思い出すたびに胸がいっぱいになってしまって、うまく言葉がつながらない。 美しかった。 迫力があった。 打ちのめされた。 どれも正しくて、どれも違うような気がする。 本物のサグラダ

          まだ、言葉にならない。「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

          恋のために生きるって、こんな感じ?「とうへんぼくで、ばかったれ」

          片思いをしているときの気持ちの内訳は、確かに 「会いたい、と、知りたい、でほぼ十割」かもしれない。 これは朝倉かすみ『とうへんぼくで、ばかったれ』の主人公・吉田のことば。 (文庫版は『恋に焦がれて吉田の上京』。うーん、このタイトルだったら手に取らなかったかも) これを聞いて友人の前田は「ストーカーの動機の内訳ともひとしいような気がするんだけど」と首をかしげる。 そうだよねー、わたしもそう思うわ。 そういえば、なんだか終始、吉田と会話しているようだったな。 主人公は2

          恋のために生きるって、こんな感じ?「とうへんぼくで、ばかったれ」

          智美術館の図録がアツい。(引越し準備が進まない)

          急遽、部屋を引っ越すことになり、“断捨離”作業が続いている。 何年も着ていない服やら、いつ買ったのかすら覚えていないロングブーツやら、既に手放した家電の取説やら…。 もう要らないだろうと思うものをどんどん手放す一方で、やっぱり捨てられないのが本の類い。 とくに最近は、美術館の図録。 正直、かなり場所を取るし、分厚くて重たいからしょっちゅう読み返すものではないんだけれど、学芸員さんの熱の込もった文章を読むたびにこちらも胸が熱くなる。 何より、あれだけたくさんの作品が一冊に

          智美術館の図録がアツい。(引越し準備が進まない)